5、CD、DVD評

音楽や映画などの鑑賞後の感想を書いてます。

2009/04/03

スカイ・クロラ

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 空の青さに理由もなく泣けてくることがある。
 感傷の涙でもなく、もちろん感謝の涙などでもない。
 ただ空があまりに広く青いこと。
 それだけで、涙するには十分だ。
 
 こんな感覚を体験したことがある人には、この『スカイ・クロラ』は超オススメの映画だ。監督は『攻殻機動隊』『アヴァロン』『イノセンス』などでおなじみの押井守。『攻殻機動隊』は恥ずかしながらまだ見たことがないのだが、僕的には『アヴァロン』『イノセンス』よりも角が取れたという意味でいい出来に思えた。作品のトータリティーとしては★★★★★。宮崎駿の世界よりも遥かに詩的です。。『崖の上のポニョ』が好きな方は見てはいけません(笑)。

 舞台は、あり得たかもしれないもうひとつの現代。世界はすでに平和が達成され、その平和を認識するためにショーとしての戦争が行われている。ここで戦争を受け持っているのは国家ではなく二つの多国籍企業だ。戦争というからには誰か人が死ななければならないわけだが、そんな平和な世界で一体、誰が自ら進んで殺し合いを引き受けるというのか——それが「キルドレ」と呼ばれる、思春期の姿のままで大人になることができない突然変異種たちだ。彼らは戦死する以外は永遠の生を生き続けなくてはならない。いや、たとえ戦死しても………(口にチャック^^)。彼らにとって戦争はコンピニのバイトと同様、ありきたりのルーティーンワークと化しており、その終わりなき生のループの中で、自分たちの生きる意味さえ見失っている——。
 
 押井守は、この映画を現代の若い人たちに向けて作ったというが、おそらくそれは興行上の建前じゃなかろうか。押井作品の一つの特徴は作品の背景につねに存在論的な問題意識が根付いているところにあるのだが、この作品も今までの作品とテイストこそ違え、その路線を一歩もはみ出るものではない。社会が成熟し、生に対する意味が希薄になりつつあるこの時代、この作品は確かに終わりなき日常を空虚に生きる若者たちへのメッセージのようにも思える。一見しただけでは、そのメッセージは「父(権力や体制)を殺せ!!」といった60年代のアジの焼き直しのようにも取られがちだが、現代の若者には殺すべき父などもはやどこにも存在していない。いや、父は巧妙な手段で姿を隠してしまい、その父を探し当てる気力などとっくの昔に消え失せている。たとえ、父を探し当て殺害したところで、殺した奴がまた新しい父となるのは目に見えている。こうした人間社会の動かし難い現実に諦念を抱いているのが現代の若者である。もちろん、押井守もそんなことは知っている。だからこそ、あえてもう一度、彼は「父殺し」をテーマとしなければならなかった。僕にはそのように思えた。——ラスト近くで、主人公のカンナミ(キルドレのパイロット)が自ら操縦する戦闘機の中で「I'll kill my father!!」とつぶやきながら、父の象徴である「ティーチャー」(敵の戦闘機)に突進していくのだが、このときの父とは、もはや社会的、政治的な権力や体制を象徴するものではない。何かもっと別のものだ。

 その意味で、この作品は現代の若者に対するメッセージというよりも、人間そのものに対するメッセージとして受け取った方が逆に理解しやすいのではないかと思う。これは「終わりなき日常」というよりも「終わりなき人間」に対する押井守自身による異議申し立てなのだ。終わりなき人間——それは押井守が若い頃からずっと抱き続けている哲学的テーマ、すなわち永遠回帰を巡る問題と考えていい。

 君は確かに輪廻している。しかし、生まれ変わっても、君はかつての両親のもとにまた君として生まれてきて、君が辿った人生と寸分も変わぬ人生を再度送ることになる。そして、この反復はオルゴールのように永遠に繰り返される——さぁ、君はどうやって、この猿芝居を仕組んだ父を殺そうというんだい?

 空の広さの中に見える人間であることの永遠性、
 空の青さの中に垣間見えるその永遠の向こう側。
 僕らはみんなスカイ・クロラ(空を這う者)というわけだ。

 映画のストーリーはネタバレになるのでほとんど書かなかったが、この作品は物語というよりも叙情詩として鑑賞する方がいいのかな。あっ、あと、必ず、エンディング・ロールが終わるまで見ることをおすすめします。

予告編はこちら→『今夜も星に抱かれてby ayaka(スカイ・クロラのテーマ)』

(写真はhttp://eiga.com/movie/1956/gallery/23より借用させていただきました。)

 

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2009/03/22

『アクロス・ザ・ユニバース』

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 久々にDVD評を書きたくなった。なぜって、全面ピートルズの楽曲を使ったミュージカル映画『アクロス・ザ・ユニバース』を見たからだ。

 いゃあ、僕らの世代にとっては純粋に理屈抜きに楽しめる作品だった。僕自身は60年代は小学生だったので、カウンターカルチャーの波をライブで経験したとは言い難いのだけど残り香ぐらいは嗅いだつもりでいる。中学2年生のときに見た『時計仕掛けのオレンジ』(監督S・キューブリック)と『イージーライダー』(監督デニス・ホッパー)に衝撃を受け、大の映画ファンになった僕は当時、ロックも大好きだったことも手伝って、ロックミュージカルには目がなかった。『ヘアー』『ジーザス・クライスト・スーパースター』『ゴッド・スペル』『ロッキー・ホラー・ショー』『ファントム・オブ・パラダイス』『リトル・ショップ・ホラーズ』etc……おそらく、80年代までに作られたロックミュージカルのジャンルに入る作品はすべて見ているはすだ。中でもダントツに好きだったのがケン・ラッセルが監督した『トミー』(『トミー』は台詞部分が一切ないので正確には「ロックオペラ」と呼ばれる)だったんだけど、彼のPOPな前衛性とほどよい狂気は当時の僕の感性にピッタリとフィットしていた。

 さて、この『アクロス・ザ・ユニバース』だが、監督はミュージカル『ライオンキング』でトニー賞を獲得したジュリー・テイモアという女性だ。ジュリー・テイモア?どこかで聞いたことがある名前だと思ったら、10年ぐらい前にシェークスピアの『タイタス』を映画化したお姉さんだった。映画『タイタス』は美術と演出に惹かれて映画館、DVDを含めて4度ぐらい観た作品だが、やっぱり、この人才能あるなぁ。ケン・ラッセルやアラン・パーカー(ピンク・フロイドの『ザ・ウォール』を映画化した監督)の手法をかなり研究した映像表現に70年代のポップカルチャーが放つ独特の艶っぽさを改めて再確認させられたような気分になった。やっぱりわしは70年代が好き!!

 こういう作品が出てくると、必ず自称ピートルズ通の連中がしゃしゃり出てきて何かと酷評するものだが、そういう連中には「なら、おまえやってみろ」と一言いってやるとよい。ビートルズの音楽を映画に取り込むことがいかに勇気がいる賭けであるかを彼らはほとんど理解していない。ビートルズの楽曲というのはファンたちの思い入れを含めて楽曲のみでその世界が100%完結しているものが多いので、ヘタな映像をカップリングさせても音楽の方が必ず勝ってしまって、曲のBGVにしかならないのがほとんどなのだ。いや、素晴らしい映像表現を持ってきたとしても事情はたぶん同じだろう。結局は、神話的な力を持ったビートルズの音楽の方が勝ってしまう。この作品は、そのことを十分に承知した上で、それを逆手に取って、映像やストーリー立ては楽曲のパロディーで良いという割り切りがある。それは登場人物の名前の付け方や台本の随所に入る台詞、そして、ラストシーンからも明らかだ。その思いっきりの良さが、この作品をとても後味のよい作品に仕立て上げている。ビートルズファンとしても、ロックミュージカルファンとしても、ジュリー・テイモアの勇気ある挑戦に拍手を送りたい気分だ。ビートルズが好きな人は必見の作品です。娯楽性、芸術性、音楽、役者たちの演技と歌唱力(出演者全員が吹き替え無しのライブ録音らしい。向こうはやっぱり役者の質が高い)すべて含めて、文句なしに★★★★★。BONOとジョー・コッカーも出てるよ〜ん。

予告編はこちら→『アクロス・ザ・ユニバース』

Come Together
I want you
Being For The Benefit of Mr. Kite
Let It Be
Strawberry Fields Forever

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2008/08/25

『ファウンテン 永遠につづく愛』

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 『π』や『レクイエム・フォー・ドリームス』で一部に熱狂的なファンを持つ奇才ダレン・アロノフスキー。彼の新作を昨日、近所のTSUTAYAでゲット。さっそく鑑賞させてもらった。

 映画の冒頭、いきなりエデンの園に存在していたと言われる知識の樹と生命の樹の話が引用される。期待を膨らませつつ見入ったが、前半、物語構成が凝りすぎてちょっと……とは思ったが、エンディング・ロールのところでは目頭が熱くなっている自分に気づいた。納得。納得。ありがとうダレン。こんな映画を作ってくれて。一般受けはまずしないだろうが、素晴らしい作品だった。このブログを読んでくれている人なら、見て損はナシ。特に後半に畳み掛けてくる意識の覚醒?のシーンの連続は息を呑むほどの美しさなので、ビジュアル面だけでも十分に楽しめると思う。

 さて、物語の内容だが、サブタイトルに「永遠につづく愛」と書いてあるように、輪廻転生しても永遠に愛し合う男女のお話、と言いたいところだけど、これは間違っても男女間の性愛の物語ではないので、そのへんを期待して観ると完全に肩すかしを食らうので注意すること。これは愛の物語というよりも、かの『ヘドウィッグ アンド アングリーインチ』と同じく、"愛の起源"についての物語だと言っていい。"グノーシス的人生"のセンスがないと理解は難しい。

 かつてアダムとイブはエデンと呼ばれる楽園にいた。しかし、イブが悪魔にそそのかされ禁断の果実を食べてしまう。このままでは生命の樹の果実まで食べられてしまうと思った神は、アダムとイブを楽園から追放してしまう。禁断の木の実とは知識の樹になっていた果実、すなわち理性のことだ。それによってアダムとイブは互いの性を男と女として意識し合うようになり、楽園での一体性を失ってしまう。愛の起源はこの伝説の中では生命の樹として象徴されている。

 映画のストーリー自体は現在を軸として、過去と未来の三つの時系列が複雑に絡み合う構成からなっている。愛し合う夫婦であるトミー(ヒュー・ジャックマン)とイジー(レイチェル・ワイズ)。イジーは脳腫瘍に冒され、余命は幾ばくもない。それを必至に救おうとする医者であるトミー。二人は永遠の愛を誓い合うが、お互いその永遠観がまるで違うためにいつもすれ違いばかりしている。イジーは死んでも魂は残ると信じ、二人の今を大切に生きようと考えている。一方、トミーの方は何とかイジーを死なせまいと新薬の開発に没頭し、残り少ない命のイジーをかまってやる時間がない。こうした二人の永遠観の違いの象徴となっているのが冒頭に登場した『生命の樹』だ。トミーはグアテマラに生息していると言われる実際の植物としての「生命の樹」からイジーの脳腫瘍を治癒させるための薬を抽出しようと実験に懸命だ。イジーの方は古代マヤのシバルバ(黄泉の国)伝説をもとに「ファウンテン(生命の泉)」という小説を書き上げようとしている。この小説の章立ては全部で12章。しかし、最後の一章がまだ書けていない。それを自分の死んだ後にトミーに完成させてほしいと願っているのだ。

 そして、イジーが書いたこの「ファウンテン」という小説の中の物語が、この映画の過去の時系列に当たる部分になっている。舞台は16世紀のスペイン。ダレンが輪廻転生を意図したのかどうかは分らないが、ここで、イジーとトミーはスペイン女王のイザベラとその忠実な家臣である騎士トーマスとなって現れる。イザベラはトーマスに国家存続のために中米マヤに存在すると言われる「生命の樹」を持ち帰ってきて欲しいと依頼する。イザベラとスペインを愛する騎士トーマスは使命を全うするため、幾多の犠牲を払いながらも、最後にその伝説の樹の場所へと到達するのだが。。。。

 さて、残りの未来の時系列のシークエンスの方だが、こちらはかなりぶっとんでいる。設定では数百年後の未来。場所は宇宙空間だ。そこでトミーは宇宙飛行士のトムに姿を変えている。トムが搭乗している宇宙船が向かっているのはオリオン座三ツ星のすぐ下にある恒星シバルバだ。例のイジーが書いた小説のヒントとなった星である。トムがトミーの生まれ変わった姿なのかどうかは定かではない。しかし、やはり、この宇宙船の中にもイジーの「(小説を)完成させて……」という言葉が響いている。水晶玉の中に日々枯れ果てていく樹木を宿したような意匠のかなりシュールな宇宙船。この宇宙船がシバルバを目指しているのであれば、見方によっては、トミーの死後の魂の姿と見て取れないこともない。。

 ネタバレになるのでこれ以上の詳細は書かないが、個人的にはダレンに★★★★★を上げたい。よくぞ、生命の樹をテーマにした作品を作り上げたものだ!!拍手喝采である。構成が複雑になりすぎてうまくまとまっていない面もあるが、そんなことはさておいて、やはり後半の映像の畳み掛けは『レクイエム・フォー・ドリームス』で見せたダレン・ビートの面目躍如だ。素晴らしい。クロノス・カルテットの音楽も例によってよくマッチしていたし、そして、何よりもブラボーなのは、ダレンが「生命の樹」の何たるかのビジョンをしかと持っているように思えることだ——ベッドで眠っているときのイジーの可憐なうなじ。雪の塊を投げつけるときのイジーの無邪気な笑顔。シバルバについて語るときのイジーの瞳の輝き。永遠の生命とはそうした日常のありきたりの風景の中にこそ顔を覗かせる。そのアウラを感じ取る感性。これはひょっとしてダレンのレイチェル・ワイズに捧げるブライベート・ムービーかも(笑)。

 蛇足ながら、この映画を見てみようと思った人はどうか次のようなことをイメージしながらDVDのスタートボタンを押して欲しい。そうすれば、ダレンがこの作品で伝えたかったことがはっきりと分るはず。。

 ——君の大切な人が突然、明日、交通事故で死んでしまうとしよう。君は涙に明け暮れ、彼女(彼)と過ごした日々を何度も思い出しては、どうしてあのときあんな顔をしてしまったのか、あそこでどうして優しい言葉の一つも掛けてやれなかったのかと悔やみ続けることだろう。そんな悔悛を機械的に繰り返す前に、今日、今現在の彼女(彼)がすでに死者なのだと思ってみてはどうだろう。いや、彼女(彼)だけではなく、自分もすでに死後の世界にいる魂だと考えてみたらどうか。つまり、未来の視点から現在を見てみるのだ。そうすれば現在はすべて回想の世界として存在していることが分かり、君は悔悛を悪戯に繰り返すこともなく、すべてに優しくなれるのだ。そのような「現在」をこの現在に再生させること。そこから溢れ出てくる他者への想いこそが生命の樹の樹液だと言っていい。この映画はそれを見事に描いてくれている。

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2007/07/05

「OCOT」1st mini album

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「OCOT」というアルバムが出ている。
アーティストは以前、レクチャーにも一度顔を出してくれたことがあるSHA-aくんというアーティストだ。
メロディアス・トランスとでもいうのだろうか、リフがとても旋律的で、トランスというジャンルにしてはとても暖かみのあるエモーショナルなサウンドに仕上がっている。早速、SHA-aくんにメールを出したら、やはり「人神」や「シリ革」に登場している「OCOT」から取ったものだと返事が返ってきた。もっとも彼の中では「On Coming Oriental Transformer」というイメージを重ね合わせているようだ。

いずれにしろ、とても嬉しい。僕の理想はヌースが単に哲学やニューエイジ思想の枠に収まらず、アートを始めとする様々な表現行為の中で少しでもインスピレーションを与えられるものとなることだ。こうした動きが出てくると、こっちも負けてはいられない、という気になってくる。

この「OCOT」、イギリスでも発売になるそうで、「人神」の米国版と何らかの形でコラボできれば、面白い展開になるかもしれない。

とても聴きやすいサウンドです。全曲いいけど、僕は「K.O.E」が一番好きかな。トランス嫌いの方も是非、チェックを!!

http://www.sha-a.net/

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