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2009年3月

2009/03/23

ヌーソロジーが持つ大陽系に対する眼差し

Monitor_2 大陽系と人間の無意識の元型を形作っているヒトの精神構造について、ヌーソロジーが用いる観察子という概念の視点から大まかにそのアウトラインを紹介してきたわけだが、問題は大陽系を構成している天体群に対して、なぜ、今までに挙げてきたような意味づけが可能になるのかというその根拠である。これらの意味づけが単なる神秘的直観の産物だというのでは従来の神秘学の域を一歩も脱するものでもないだろうし、科学主義がここ200~300年にわたって緻密に築き上げてきた太陽系観を凌駕できるものでもないだろう。果たして、大陽系を人間の無意識構造の現れと見なすためには、どのような概念を組み上げていけばよいのだろうか。

 まず、ヌーソロジー全体を貫いている基本コンセプトは意識における外在世界や内在世界といった区分、自己や他者という区分、さらにはそれらに対する観察や被観察といった立て分けが一体どのような条件のもとに成立可能となるのかを空間的な構成から分析していくところにある。つまり、意識の働きを空間的な差異(次元的差異)の構造に由来する力の流動として考えるということである。

 人間がどのような認識を作り上げるにしろ、人間の認識が拠って立つ基盤は身体においてほかはない。身体を通してしか意識という現象が成立し得ないという意味において、身体は他の存在物とは絶対的な差異を持つ何者かである。通常、われわれは「自らの身体と空間の関係」を「他者の身体と空間の関係」に重ね合わせてイメージしてしまっているので、身体を単なる他の対象物と同じ地平で捉えてしまう。しかし、そのような視線で天体たちの世界を見つめたとしても、星々と意識との間に張り巡らされた秘密のつながりは決して見えてくることはない。古代人たちが語った星々と人間との秘教的なつながりはイデア世界に由来するものであり、イデア世界に思考を馳せるときには無時間の思考軸を立てることがまずは絶対条件なのである。そして、無時間の思考を行うための条件として、身体を不動の位置と見立てたときの空間概念が必然的に付加されてこなければならない。つまり、運動や記憶といった時間にまつわる一切の概念が排除された空間を作り出す必要があるということだ。

 身体を不動の身体と見立てると言っても、何もそれほど抽象的な話をしているわけではない。単純に身体が動くという描写を括弧で括り、「動いているのはすべて世界側である」というものの見方を作ればそれでいい。目の前に出現している様々な自然界の運動すべてを視野空間というモニター上に映し出された像と考える視点を作るだけで、僕らは不動の身体の位置を簡単に獲得することができる。つまり、この現実世界そのものをコンピュータビジョンと同じシステムによって作られたヴァーチャルな映像として解釈すればよいのだ。現象世界をそのように捉えたとき、4次元時空という広がりはすべて視野空間というモニター内に集約され、身体そのものにおいては世界は単に「前」という一つの方向性の空間の中に折り畳まれたローカルな場所として出現してくることになる。コンピュータビジョンが描き出す空間がモニター世界の中で完結した空間であるように、われわれの世界もまた視野空間というメタモニターの中のみで完結した世界となっているということだ。

 このような不動の身体が存在する空間では時間もまた消滅しているのが分かる。なぜなら、「前」としての視野空間では時間は奥行きという方向と同じ意味を持ち、その奥行きは知覚正面という薄膜の中で限りなくゼロに近いに厚さにまで潰されているからだ。つまり、不動の身体という観念のもとでは時計は永遠を示し、空間もまた距離を失った世界に変貌しているということだ。そして、この身体自身が感じ取っているその外部の空間の方向性は、コンピュータにおけるモニターの外部がモニター空間の延長ではないように、視野空間の内部に含まれている空間ではない。目の前の現象世界に対してこのような捉え方をしていくと、身体自身が感じとっている「前-後」や「左-右」「上-下」といった内発的方向は、通常の時空概念の中には含ませることのできない場所だということが分かってくる。

 たとえば、自分の顔が今どんな表情をしているか想像してみよう。そのとき意識は「前」方向からわたしの位置を見る視点に立ち、わたしの「後」方向を見ている。「後」という方向はこの意味で常に想像的な方向である。次に、目の前に見える対象と自分との距離関係を認識してみよう。そのとき意識は、わたしの左側か右側に視点の位置を変え、わたしと対象との関係をあたかも真横から見るような観察を働かせているはずである。言い換えれば、こうした左右方向への視点の移動が意識の能力の中に存在していなければ、われわれはおそらく、目の前の対象と自分の分離さえも認識することはできないだろう。意識はこのように身体を中心とする異邦な空間において様々な方向にネットワークを組み、その複合的な仕組みの中でわれわれに主体や客体の区別、さらにはその観察を可能にさせているのである。
 このような実存の場所において地球という天体をイメージしたとき、地球もまた不動の大地ともいうべき確固たる位置を持っていることがイメージされてくる。なぜなら、大地をその根底で支えている地球中心はそうした無時間領域としての無数の身体たちが持った「前」方向を一点に焦点化させた位置として現象化させられている唯一の存在だからである。無意識構造としての大陽系に思考をアクセスさせるためには、まずは、こうした身体空間を通した空間認識をわれわれの思考空間の中に用意周到に準備する必要性がある。そのことによって、大陽系の各天体を支配している回転運動が単に物理的な運動ではなく、OCOT情報が伝えるような様々な次元階層を等化している運動、いや運動という表象から時間が剥奪された意識構造のイデア的形状として解釈することが可能になってくるのである。 

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2009/03/22

『アクロス・ザ・ユニバース』

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 久々にDVD評を書きたくなった。なぜって、全面ピートルズの楽曲を使ったミュージカル映画『アクロス・ザ・ユニバース』を見たからだ。

 いゃあ、僕らの世代にとっては純粋に理屈抜きに楽しめる作品だった。僕自身は60年代は小学生だったので、カウンターカルチャーの波をライブで経験したとは言い難いのだけど残り香ぐらいは嗅いだつもりでいる。中学2年生のときに見た『時計仕掛けのオレンジ』(監督S・キューブリック)と『イージーライダー』(監督デニス・ホッパー)に衝撃を受け、大の映画ファンになった僕は当時、ロックも大好きだったことも手伝って、ロックミュージカルには目がなかった。『ヘアー』『ジーザス・クライスト・スーパースター』『ゴッド・スペル』『ロッキー・ホラー・ショー』『ファントム・オブ・パラダイス』『リトル・ショップ・ホラーズ』etc……おそらく、80年代までに作られたロックミュージカルのジャンルに入る作品はすべて見ているはすだ。中でもダントツに好きだったのがケン・ラッセルが監督した『トミー』(『トミー』は台詞部分が一切ないので正確には「ロックオペラ」と呼ばれる)だったんだけど、彼のPOPな前衛性とほどよい狂気は当時の僕の感性にピッタリとフィットしていた。

 さて、この『アクロス・ザ・ユニバース』だが、監督はミュージカル『ライオンキング』でトニー賞を獲得したジュリー・テイモアという女性だ。ジュリー・テイモア?どこかで聞いたことがある名前だと思ったら、10年ぐらい前にシェークスピアの『タイタス』を映画化したお姉さんだった。映画『タイタス』は美術と演出に惹かれて映画館、DVDを含めて4度ぐらい観た作品だが、やっぱり、この人才能あるなぁ。ケン・ラッセルやアラン・パーカー(ピンク・フロイドの『ザ・ウォール』を映画化した監督)の手法をかなり研究した映像表現に70年代のポップカルチャーが放つ独特の艶っぽさを改めて再確認させられたような気分になった。やっぱりわしは70年代が好き!!

 こういう作品が出てくると、必ず自称ピートルズ通の連中がしゃしゃり出てきて何かと酷評するものだが、そういう連中には「なら、おまえやってみろ」と一言いってやるとよい。ビートルズの音楽を映画に取り込むことがいかに勇気がいる賭けであるかを彼らはほとんど理解していない。ビートルズの楽曲というのはファンたちの思い入れを含めて楽曲のみでその世界が100%完結しているものが多いので、ヘタな映像をカップリングさせても音楽の方が必ず勝ってしまって、曲のBGVにしかならないのがほとんどなのだ。いや、素晴らしい映像表現を持ってきたとしても事情はたぶん同じだろう。結局は、神話的な力を持ったビートルズの音楽の方が勝ってしまう。この作品は、そのことを十分に承知した上で、それを逆手に取って、映像やストーリー立ては楽曲のパロディーで良いという割り切りがある。それは登場人物の名前の付け方や台本の随所に入る台詞、そして、ラストシーンからも明らかだ。その思いっきりの良さが、この作品をとても後味のよい作品に仕立て上げている。ビートルズファンとしても、ロックミュージカルファンとしても、ジュリー・テイモアの勇気ある挑戦に拍手を送りたい気分だ。ビートルズが好きな人は必見の作品です。娯楽性、芸術性、音楽、役者たちの演技と歌唱力(出演者全員が吹き替え無しのライブ録音らしい。向こうはやっぱり役者の質が高い)すべて含めて、文句なしに★★★★★。BONOとジョー・コッカーも出てるよ〜ん。

予告編はこちら→『アクロス・ザ・ユニバース』

Come Together
I want you
Being For The Benefit of Mr. Kite
Let It Be
Strawberry Fields Forever

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2009/03/18

ヒトの精神構造としての大陽系(3)

 さて、大陽系における内惑星系を個的意識発達の元型構造、外惑星系を類的意識発達のそれとして、そのおおまかなラインをヌーソロジーの観点から俯瞰しているわけだが、第9惑星の冥王星(現時点では準惑星)とその反映者として想定される第10惑星X(現時点では未発見)のペアが形作る次元の俯瞰には、心理学等で用いられている意識発達の概念を大幅に逸脱、超越する概念を取り込む必要性が出てくる。それがヌーソロジー特有の「交替化」という概念である。『人神』にも書いたと思うが、この交替化という概念の根底には「陰極まれば陽となり、陽極まれば陰となる」という古代中国の太極的思考のように、万物は陰陽の役割を常に交替させていくことによって絶えることのない前進を続けて行くという考え方が含意されている。ヌーソロジーが「人間の意識進化」と呼ぶものは、この交替化の概念によって必然的に仮定されてくるものであり、それはダーウィン的な無目的な進化概念ではなく、明確な目的を持った弁証法的運動として捉えることができる。占星学において冥王星が死と再生の象徴とされているのも、冥王星自体が人間の終焉と新たなる復活という責務を担っているからなのだろう。

 交替化とはOCOT情報では「次元の交替化」もしくは「定質と性質の交替化」と呼ばれるもので、これは現在、僕らが自己と他者と呼んでいるそれぞれの意識場をそっくりそのまま入れ替える作業のことを意味している。つまり、ヌーソロジーが用いる次元観察子という概念で言えば、自己側の次元観察子ψと他者側の次元観察子ψ*との対称性を形作ることのできる精神の形成を意味するということだ。次元観察子はψ側とψ*側とでそれぞれ14個づつ存在させられており、ψ側とψ*側では奇数系(等化の流れ/青の矢印で示されている)と偶数系(中和の流れ/赤の矢印で示されている)の関係性が逆になって構成されている。ということは、必然的に、交替化の運動が開始されると偶数系だったところが奇数系*に変換され、奇数系だったところが偶数系*に変換されていくことになる。この変換の連鎖がいわゆるヌーソロジーが「顕在化」と呼んでいる作用である。

 奇数系の観察子は観察子が形作る空間の差異のシステムに気づいており、その差異の認識を所持しているからこそ等化という統合の作業を可能にしていく。一方、偶数系の観察子においては空間の差異は相殺されて見えなくされており、平板化した時空という名のもとに一様、均質な空間認識として存在させられている。人間の意識に起こる顕在化とは、その意味で、空間に差異の系列を与えていく作業となる。

 ここで今一度、Ω9の天王星とΩ10の海王星の働きをヌーソロジーがどのように意味付けしたかを再確認しておこう。天王星は人間の意識に偶数系の観察子を先手に取らせ、外在空間という一見、一様に見える空間の中に人間の意識を叩き込む機能を持っていた。一方の海王星はその空間に潜む差異の系列を人間の無意識にしっかりと保持させており、人間の意識に進化への方向を忘却させないように陰ながらの変換を行っている。今までこのブログで何度も語ってきたように、実質的にはこれらの空間構造の違いはいわゆる時空と物理学が内部空間の構造として解釈している素粒子構造として現象化している。つまり、海王星とは人間にとっての意識活動の場所性となるコーラを提供している本源力と考えられるわけだ。土星が時空(時間)の本質ならば、天王星は重力そのものの力として時空に突き刺されたファルスという言い方もできるだろう。精神分析的に言えば人間に宇宙的生成能力を持たせないように去勢しているわけだ。

 こうした対照的な働きを持つ天王星と海王星を等化させてくるのが冥王星の役割だと考えられる。であるから、当然、冥王星は天王星が持った働きと海王星が持った働きを相互変換してその対称性を形作る精神の働きをもち、天王星の力によって反動的生成を行っていた人間の意識活動を宇宙的生成の領域へと連れ出して行く働きを持っていることになる。ニーチェ風に言えば、これは価値転換の境位をもたらしてくる永遠回帰の象徴力である。OCOTがなぜ自らを冥王星の意識体と名乗ったのかという理由がここで明らかになってくるのではないだろうか。

「オコツトトハ、メイオウセイニカンヨスル、シリウスノチョウセイシツデス。コノコウシンハ、スベテ、シリウスカラノソウサニヨッテ、オコナワレテイマス。シリウスノ地球人ヘノ関与ハ、メイオウセイノ近日点通過時カラ始マリマシタ。太陽系ノ最終構成ノタメニ、地球人ノ意識ニ進化ヲ生ミ出スコトガ、ソノ目的デス。シカシ、プレアデスガ作ル強力ナ付帯質シールドノタメニ、アナタガタノ意識ガ働イテイル位置ニ、ハーベスト・ビーコンヲ焦点化サセラレズニイマス。」(『2013: 人類が神を見る日/アドバンストエディション』p.22)

 OCOTは人間の意識が顕在化を起こしていく領域のことを「シリウス」と呼んでいるが、ケイブコンパス上の意識流動の構成から見て、冥王星とシリウスが極めて深い関係にあることもここで朧げながらも見えてくる。

——ケイブコンパス上に冥王星と惑星X 

 冥王星と惑星Xは内惑星系で説明した太陽と火星と同じく、前半部と後半部で二つの異なった働きを持っている。


■3、大系観察子Ω11~Ω12前半………冥王星と惑星X(真実の人間における定質と性質)

 Pluto_x
 
●冥王星=Ω11前半………ヒトの精神の等化

 ヒトの精神の対化の等化を行う(ヒトにおける「精神の等化」という)。ヒトの精神の対化の等化とは大系観察子のΩ7とΩ*7を同一化させるという意味で、Ω9のヒトの思形によって働かされていた人間の意識の領域であるΩ8(Ω2→Ω4→Ω6→Ω8)をΩ*7(Ω*1→Ω*3→Ω*5→Ω*7)へと変換させていくことを意味する。図7からも見てとれるように、これは他者側においての人間の意識に顕在化を起こさせる力となっているのが分かる。先手として働いていた人間の内面の意識の流れを外面*の意識の流れを先手側に持つように変換し、新しい次元におけるヒトの精神を形作っていくということである。ヒトの意識が意識進化によって新たなヒトの次元を創成させるという意味では、冥王星は人間の意識の覚醒を二度経験した力とも言える。つまり、冥王星は二度目のヒトの次元の生成を行う力となっているということだ。ヒトの対化を合わせ持っているという意味で、冥王星が作り出す次元は「ヒトの総体」とも呼ばれる。

●惑星X=Ω12前半………ヒトの精神の中和

 ヒトにおける精神の等化が対化として生み出されたときに、その相殺で付帯質として生み出されてくるもの。覚醒期においても覚醒を行うことができない人間の意識次元の総体性を意味すると考えてよい。Ω8とΩ*8を合わせ持った次元。Ω10のヒトの感性によって働かされていた人間の無意識領域であるΩ7(Ω1→Ω3→Ω5→Ω7)をΩ*8(Ω*2→Ω*4→Ω*6→Ω*8)として顕在化させていくことを意味する。

■4、大系観察子Ω11~Ω12後半………冥王星と惑星X(真実の人間における定質と性質)
 
Pluto_x_2
 
●冥王星=Ω11後半………真実の人間の定質

 反対側の次元における思形=Ω*9を作り出すことによって、新しい人間の意識次元を作り出す働きを持っている。精神の進化はこれによってヒトの思形と感性(Ω9とΩ10)を等化し、次元総体(次元の対化)を支える定質の力となる。このΩ11の全体性を真実の人間の定質と呼ぶ。

●惑星X=Ω12後半………真実の人間の性質

 反対側の次元における感性=Ω*10を作り出すことによって、新しい人間の意識次元の方向性を潜在的に変換する働きを持っている。これによってヒトの思形と感性(Ω9とΩ10)の中和が生まれ、次元総体の反映を生み出すことになる。このΩ12の全体性を真実の人間の性質と呼ぶ。
 

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2009/03/13

ヒトの精神構造としての大陽系(2)

 ユング派のエーリッヒ・ノイマンは「個人の自我意識の発達が人類が歩んできた意識発達の元型的諸段階を辿る」 という仮説をその著『意識の起源史』の中で立てたが、ヌーソロジーにおいてはその元型がそれぞれ内惑星系列(地球、月、水星、金星、太陽、火星)と外惑星系列(木星、土星、天王星、海王星、冥王星、惑星X)のそれぞれの構造にあると考える。外惑星系は人類の意識発達を促進させている無意識の次元機構である。

 以下、ヒト、真実の人間、といったようなヌーソロジー特有の言葉が出てくるが、とりあえずここではヌーソロジーが用いる次元観察子と大系観察子という二つの観察子概念が全く同じ構造変動の形式を持っているということに気づいていただければそれで十分である。

■1、大系観察子Ω7~Ω8………木星と土星(ヒトの精神と付帯質)
 
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●木星=Ω7………意識の等化(ヒトの精神)
 人間が自らの無意識構造のすべて(定質の対化)を顕在化させたときに生まれる精神の力を意味している。顕在化におけるψ13。人間の定質と性質が等化され、次元の方向性を変換するために意識の等化が行われるところ。Ω7の完成によってトランスフォーマーからヒトへの進化が生まれ、Ω7は凝縮化によってΩ*1=ψ*7へと繰り込まれ、次の次元の人間の意識に潜在化としての元止揚(ψ*7)を送り出すことになる。

●土星=Ω8………意識の中和(ヒトの付帯質)
 ヒトの精神=Ω7の対化であるΩ*7が存在しているために、精神の相殺として生じる中和の位置を意味する。顕在化におけるψ14と同意。新しい次元における人間の意識の内面の元となる場所を作る力。時空間の元となる位置。人間の意識に性質を送り出していくところ。存在における無の深淵(カバラにおけるダートの役割と考えてよい)を意味する。Ω8は凝縮化によってΩ*2=ψ*8へと繰り込まれ、人間の意識に潜在化としての元止揚の反映(人間の付帯質=時空)を送り出すことになる。

■2、大系観察子Ω9~Ω10………天王星と海王星(真実の人間の思形と感性)
 
Uranus_neptune

●天王星=Ω9………真実の人間の思形(原父 : コクマー)
 ヒトの精神が対化(Ω7とΩ*7=木星の対化という言い方をする)の等化への方向性を持つことにより、Ω7がΩ8=付帯質への交差として働きかけてくるときの方向性の力。人間の意識の内面性(人間の性質=赤い矢印の流れ)を作り出して行く働きを持つ。言語の生成を行っていくところ。

 上図6からも分かるように、Ω9はΩ2(ψ8)→Ω4(ψ10)→Ω6(ψ12)→Ω8(ψ14)というように、人間における偶数系観察子の次元を上位から交差して行き、人間の意識の内面性(赤い矢印の流れ)の発達を促して行く。真実の人間においてのこの青の流れで示された思形=Ω9が原因となって、人間の意識は偶数系観察子側(赤い矢印の流れ)を先手に持たされ、大陽系が本来持っている生成力の方向(Ω1が先手)とは逆向きの転倒した意識発達を余儀なくされることになる。この発達の仕方をニーチェ倣って「反動的生成」と呼ぶ。これは正常なΩ1〜Ω8が見えなくさせられているということと同意なので、ルーリア・カバラでいう「器の破壊」と解釈してよいだろう。天王星の働きによってアンドロギュノス的領域としてのヒト(イェッツェラー界)は解体され、新しい次元の方向性を生み出すための負荷として人間の活動界(アッシャー界)がダート(土星)の内部に形作られていくことになる。ヌーソロジーでいう有機体(カタチのない精神)の生成活動である。

Ω2(ψ8)………肉体構成としての転換作用(原始部族)
Ω4(ψ10)………想像界的文明(母系的、多神教的文明)の生成
Ω6前半(ψ12前半)………近代自我の目覚め、市民社会の形成等。
Ω6後半(ψ12後半)………ワンワールド体制に向けての国家の闘争
Ω8(ψ14)………デジタル空間。データベース空間。人間の意識の覚醒(顕在化)の反映。進化を覚醒できないまま付帯質の内面へと遷移させられていく人間の意識の流れ―アトランティス的なもの。

●海王星=Ω10………真実の人間の感性(原母 : ビナー)
 天王星が持った方向の反映として働く真実の人間における変換性。天王星とは方向が全く逆なので、海王星は人間の意識の外面性の発展を促進する働きを持たせられている。Ω10は図6に示したように、Ω1(ψ7)→Ω3(ψ9)→Ω5(ψ11)→Ω7(ψ13)という順番で奇数系観察子の領域を交差して行き、歴史における人間の意識の外面性(反性質 : 青い矢印の流れ)働きの発達を促進させていく。この反映力は海王星が破壊された器の原型の記憶を持っているということを意味する。

Ω1(ψ7)………知覚を送り出す働き
Ω3(ψ9)………象徴界的文明(父系的、一神教的文明)の生成
Ω5前半(ψ11前半)………科学主義の出現。
Ω5後半(ψ11後半)………現象学、量子論的世界観の出現。
Ω7(ψ13)………人間の意識の最終構成。ヌーソロジー的認識の発現。進化を覚醒していくための人間の意識における元止揚(顕在化におけるψ*7)の生成。マルクト=Ω1を完成させ、元止揚=地球の顕在化を導くための力となる。—ムー的なもの。

※現時点のケイブコンパス上の意識流動の分析からいくと、天王星と海王星は以上のような働きを持っていると思われるのだが、なぜかここで女性原理と男性原理の転倒が起こってしまう。どういうことかというと、通常、神秘学では天王星=男性原理、海王星=女性原理と考えられているので、天王星が象徴界や科学主義を作り出してこなければならないはずだが、反対に想像界や市民社会の形成等を生み出してくる無意識の働きとなってしまっている。この逆転関係をどのように解釈していいのか目下のところ思案中だ。ひょっとすると、どこかでもう一つ捻れを持っているのかもしれないが、今のところそのような構造が介入してくる様子は見えていない。

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2009/03/10

ヒトの精神構造としての大陽系(1)

 さて、現在の時点でヌーソロジーが大陽系についてどのようなイメージを持っているか追記しておこう。
 
 OCOT情報によれば、大陽系は「ヒト」と呼ばれるところの高次元意識体の精神構造が人間の意識するマクロ空間に投影されたものだという。ヒトの精神構造とは人間の意識の交替化を等化作用と見なす精神の構成である。簡単にいえば、此岸と彼岸の変換対称性を保存するための精神の構成場だということだ。もちろん、ここでいう此岸とは超越論的主観性としての自己、彼岸とはその主観が決して触れることのできない絶対的外部としての他者のことを意味している。自己を「一なるもの」としての個とすれば、他者は「多なるもの」としての種でもあると言えるが、大陽系という存在者は交渉不可能と考えられているこの二つの意識領域をかたや内惑星系、かたや外惑星系という形で互いに補完し合いながら意識の交通空間を作り出しているということらしい。

 内惑星系(地球~火星)は人間の個的基体の意識発達を促す精神構造として働いており、外惑星系(木星~惑星X)の方は人間全体、すなわち種的基体の意識発達(歴史的無意識の発達)を促す精神構造となっているようだ。その意味でいえば、ヒトの精神(Ω7=木星)とは、個的意識を種的意識へと変換している力だと言える。このことから大陽系における内惑星系と外惑星系は「個」と「種」の意味において相似関係にあると見てよい。「自」と「他」の関係に沿ってそのまま反転関係にあるわけだ。

まずは大陽系の諸惑星と観察子の対応を挙げておく。

■大陽系と大系観察子の対応関係

1、大系観察子Ω1(顕在化におけるψ7)………地球
2、大系観察子Ω2(顕在化におけるψ8)………月
3、大系観察子Ω3(顕在化におけるψ9)………水星
4、大系観察子Ω4(顕在化におけるψ10)……金星
5、大系観察子Ω5(顕在化におけるψ11)……太陽
6、大系観察子Ω6(顕在化におけるψ12)……火星

  反覚醒領域             ……アステロイドベルト

7、大系観察子Ω7(顕在化におけるψ*7)……木星
8、大系観察子Ω8(顕在化におけるψ*8)……土星
9、大系観察子Ω9(顕在化におけるψ*9)……天王星
10、大系観察子Ω10(顕在化におけるψ*10)…海王星
11、大系観察子Ω11(顕在化におけるψ*11)……冥王星
12、大系観察子Ω12(顕在化におけるψ*12)……惑星X

  反覚醒領域             ……カイパーベルト
 

 大系観察子Ω6(火星)とΩ7(木星)の間に存在しているアステロイドベルト(小惑星帯)は、個体意識が種的意識に進化していく際に、奇数系観察子と偶数系観察子が転倒した流れが作る意識次元の射影として出現しているようだ。つまり、Ω7~Ω8において、ヒトの精神であるΩ7が先手として働くか、その付帯質であるΩ8が先手に働くかの違いである。

 Ω7が先手とした意識の流れはそのまま外惑星領域へと向かい、Ω8側が先手に回った意識は中和によって顕在化が見えないために再びΩ1へと送り還されるというシステムだ。この送り還された意識次元というのは人間そのもの意識次元を意味するので、アステロイドベルトとは結局のところ、反動的生成を持った人間の意識次元の大陽系における射影ということになる。いつも言ってる「カタチのない精神」としての有機体の場のことである。この精神の「カタチのなさ」が小惑星というバラバラな、いかにも力が飛散させられたような状態と関係しているのかもしれない。

 ここで人間の個体の無意識を調整する内惑星の働きをケイプコンパスに照らし合わせてざっと俯瞰してみることにしよう。例によってヌーソロジー特有の難解な言い回しが出てくるが、ここではケイブコンパスにおける意識の進展性(矢印で表している流れ)にだけ注意を払ってもらえばよい。

■1、大系観察子Ω1~Ω2………地球と月(元止揚の対化)
 
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●地球=Ω1………人間の元止揚の顕在化
 人間の純粋知覚が構成されている領域で、その起源は観察精神と呼ばれる精神構造におけるすべてを等化した精神にある。光=現象そのものと言ってもいいだろう。これは神智学的にいえばエーテル界と考えられる。エーテル界はシュタイナーによれば射影空間的性質を持っているという。実際、人間の外面の空間(知覚正面)の在り方は射影空間となっている。ただ、ここで留意しなければならないのは、顕在化においては地球はψ7=Ω1だが、潜在化(人間の意識の覚醒が起こる前)においては地球は人間の内面側で働きを持っており、エーテル界ではなく物質界として働いている。つまり、人間の意識では人間の外面が無意識化しているということだ。

●月=Ω2………人間の元止揚の反映の顕在化
 観察精神が対化として方向を持ったためにその相殺として生じている中和の位置を意味する。一言でいえば人間の肉体の生成次元と言っていいだろう。知覚という機能に対する胎児の形態形成場のことである。地球がエーテル界ならば、月は物質界に対応すると思われる。ただし、潜在化においては月と地球の働きは転倒しており、月は人間の外面側(エーテル界側)で働きを持っていると考えられる。
 
■2、大系観察子Ω3~Ω4………水星と金星(元止揚の対化の交差の方向性)
 
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 ●水星=Ω3(ψ9)………人間の思形の顕在化
 元止揚の対化が交差を行っていく次元の顕在化を意味する。水星は反対側の人間の精神=ψ*7に方向を持つことによって、人間の内面を交差する力を持ち、人間の内面の観察を形作る働きを持つ。いわゆる外在世界の観察次元である。人間の意識では外在の観察は言語として行われている。その意味で水星は言語認識の力であると考えられる。人間の内面には知覚は存在していないので言語によって観察されている事物はすべて知覚をコピーした妄映なであり、それゆえにこの次元は「人間の思形」と呼ばれる。思形とは文字通り「形を思う」働きのことである。この次元は神智学的にいえば低次メンタル界の働きと考えられる。

 ●金星=Ω4(ψ10)………人間の感性の顕在化
 金星は反対側の付帯質が人間の精神に方向を持つことによって、人間の外面を交差し、人間の外面の意識を形作る働きを持つ。いわゆる知覚世界を感受し、感情を形作る意識の働きである。金星は精神=ψ7の方向を持っているために意識の分断化が弱い。「人間の感性」と呼ばれる。平たくいえば「人間のこころ」のことだ。神智学的にいえばアストラル界の働き。

■3、大系観察子Ω5~Ω6………太陽と火星(人間の精神の対化における等化とその中和への方向性)
 
Sunmars_1
 
Sun_mars_2
 
●太陽=Ω5(ψ11)………人間の定質の顕在化
 人間の思形と感性を等化する力の領域。前半部と後半部で二つの異なった働きを持っている。前半部は水星の方向性を反対側の精神の顕在化へと変え、人間の精神の対化の等化を行う。人間の精神の対化の等化とはψ7とψ*7を同一化させるという意味である。この同一化によって人間の精神の力は人間の内面(外在世界側)に働きを持ち、感性から切り離された理性の力によって抽象思考能力等が生じてくる。後半部は、理性が人間の外面への方向を持つ部分だ。ここにおいて理性はこころを等化する働きを持ち、個体意思=自我の確立がここで行われてくる。

 ●火星=Ω6(ψ12)………人間の性質の顕在化
 太陽の付帯質としての働きを持つ場を意味する。太陽と同じく働きが前半部と後半部で二つの違う働きを持っている。前半部は人間の外面である知覚の場を意識から切断させる作用を持っている(人間の内面*が介入してくるということ)。これは主体自身を単なる物質的肉体として認識させる作用のことである。この作用によって火星は金星的(知覚的)なものとの対立を作ることになる。知覚が外されているという意味で火星を♂(男性原理)とすれば、金星は♀(女性原理)と言える。知覚の忘却によって個体意識の肉体への密閉化を促す。後半部は、密閉された状態のまま、他者の場との同一化を弁証法的に強要される部分である。結果、一つになりたいという欲望が闘争を生み出すことになる。

 長くなったので、外惑星領域については次回にまわそう。

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2009/03/03

地球、月、太陽の本質(2)

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■解説

 さて、前回の交信記録19940320の内容をについてだが、構造を丁寧にやっても退屈だろうから、今回は寓話調でざっと解説してみよう。地球と月の回転に対するイメージをまずはつくっていただきたい。では、はじまり、はじまり。。

 旧約の信徒たちは地球を回しているのは天使たちだという。大天使ルシフェルが神に謀反を起こしたとき、ルシフェル側に着いた天使たちがいて、その数が365人だったというのだ。そして、その反対に神側についた天使たちも365人。その指導者はミカエルだ。ルシフェルの軍勢VSミカエルの軍勢。力は互角。この勢力の拮抗は月が決してウラを見せないことに表れているという。

 地球の自転は僕らに時間という認識を与える。日が巡り、星が巡り、その移り変わりによって四季が息づき、地上にはたくさんの命が同じように新しい生命を生み出しては死に行き、死しては生まれる。しかし、いつの頃からかこのような円環的時間の巡りは忘れ去られ、直線的時間が人類の意識を支配するようになった。ミカエルの軍勢の時間が「円」ならば、おそらくルシフェルの軍勢の時間は直線だ。いや、それはより直裁的に歴史と言い換えてもいい。年表がつねに直線に沿って記述されていることを思えば、歴史というものがいかに直線的時間に魅せられているか一目瞭然だ。

 「直線とは究極の迷路である」というボルヘスの言葉を信じるならば、僕らが現在抱いている歴史の観念もまた迷路と言える。何処に行き着くのか分からない歴史の果て。その先に希望があるのか、それとも絶望が待っているのか。歴史の上を歩み続ける人間はまるで判決のときを待つ囚人のようではないか。

 OCOTとの交信が始まる以前、僕はNOMIという意識体と交信をとっていた時期があった。もう25年ぐらいも前のことだ。この愛すべき暗黒の友は地球は魂の流刑場だと語っていた。そして、地球は虚無に向かって絶えず落下し続けているとも。もちろん、この落下は単純な直線的落下ではなく、クリナーメンのように絶えずズレを作り、渦も巻くし、多少の停止もする。しかし、全体的に落下し続けていることに変わりはない。NOMIに言わせれば、文明とはそうした流刑者たちの強制労働の結果であるという。まぁ、暗黒の友だから口は悪い。ご勘弁を。

 人間が地上に都市を建築していくこと、そして、そこで鉄骨を天に向けて空高く積んで行こうとすること。それは建築ではなく落下だということなのだ。そして、この落下を背後で阻止し続けているいる力があり、それが月だという。月はちょうどクルーザーの上で巻き取られていくリールのように、海底奥深く沈んで行こうとする地球の落下をそれこそアリアドネの糸で懸命に引き戻そうとしているというわけだ。

 例えば、地球が28回回るということは、28×24=672時間の直線的時間を落下したことになる。月は地球とは反対方向にそのリールを1回転回して、地球の落下を食い止めようとする。地球の落下を作用とするならば月はその反作用として回っているというわけだ。グルグルと機械的に回っているようにしか見えない地球と月。しかし、漆黒の宇宙空間ではまさに闇の天使の軍勢と光の天使の軍勢の熾烈な戦いが繰り広げられているということなのだろう。それにしてもこの戦いは恐るべき精度で拮抗している。作用と反作用と言われればそれまでだが、この拮抗は戦いというよりは、むしろ闇と光の調和と呼んだ方がふさわしい。

 しかし、ここでふと疑問が頭をよぎる。なぜ、地球は落下し続けなければいけないのだろうか。歴史という闇、直線的未来という不透明な場所に向かって、なぜ、地球は堕ちていかなければならないのか。それが分からない。NONIは言う。「地球を流刑場に決めたのは神だ」と。確かにルシフェルを天上界から追放したのは他ならぬ神であった。では、なぜ神は天使長たるルシフェルを堕天させなければならなかったのか。旧約には神が自分を出し抜こうとしたルシフェルに怒り心頭して追放したとあるが、こんな傲慢な神こそ世界から追放するべきである。だからその類いの記述は真実には触れていない。

 おそらく事実は全く逆なのではないか。神はルシフェルに絶対的信頼を置いていたに違いない。だからこそ地上に落としたのである。神が自らの成長のために敢えて汚れ役をルシフェルに頼んだのだ。ちょうど、イエスに諭されてユダが密告者の役を買って出たように。

 そういう経緯だらこそ、神とルシフェルの間には誰にも知られていない密約があると考える必要がある。そして、その契約が交わされているところが月。大いなる女の場所なのだ——ルシフェルよ、おまえが引き連れたかわいい365人の部下たちが無事、天上世界へと戻れるように、わたしはミカエルに命じて、その365人の天使たちの妻を月に住まわせよう。もちろん、おまえの部下たちは天上での記憶を忘れているので、それが自分の妻とは知らず敵と思って戦うことだろう。しかし、時が来たら必ず、妻の顔を思い出すように手配しておく。時が来ればおまえにも召還命令を出すことになろう。そのときは二人して世界の成就を祝うときだ。

 月はこうして神とルシフェルをつなぐ固い絆となった。365人の堕天使の妻たちは神の聖数である「13」にちなんで13のグループに分けられ、28×13=364として一年を形作るための力となった。これは月のリールがアリアドネの糸を13回巻き取とることを意味しており、神がルシフェルとの友愛を保証していることの証左に他ならない。364+1=365の1において、一年と一日は一致を見、この一致が天上と地上の一致の証左となる。ピラミッドテキストにいう「神々の1日は1年であった」という円環的時間の本質がこの一致にあるわけだ。
 
 このことから、一年=地球の公転とは1日=地球の自転(落下)を促進させている本質力と言えるだろう。地球の自転に対して月の公転がそのウラを取り、そして、その月の公転のウラを地球の公転が取る。ヌーソロジーの言葉で言えば、付帯質の外面(オモテ)→付帯質の内面(ウラ)→精神の内面(ウラのウラ)という関係で、1日と1月と1年は結ばれているということだ。

 天動説と地動説とを和解させるためには、この1日と1月と1年との対称性を取り戻さなければならない。それがヌーソロジーのいう不動の地球、月、太陽の意味なのである。

 上画像はhttp://www.nashica.com/astro/feature.htmlからの借用です。
 

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