2、シリウスファイル解説

ヌーソロジーの出自でもある「シリウスファイル」について解説しています。

2009/05/12

地球から広がる空間について——OCOTとの質疑応答

Earthmoon

上画像はhttp://www.astroarts.co.jp/news/1998/01/980128near/index-j.htmlからの借用です。
 
●交信記録19950118

コ  地球の昼間の部分と夜の部分とは人間の内面と外面という対化と関係しているように思えるのですが、もし関係しているならばどのように関係しているのでしょうか。

オ はい、関係しています。それはチカラの関係です。外面が夜で内面が昼という言い方ができるでしょう。人間の意識においては外面はひとつの次元ではなく交差によって生み出された方向性の対化としての次元になります。表相はそれを生み出すための最初のひとつの反映と考えて下さい。しかし、人間の意識ではカタチが等化できないために一つの精神の力を持ち、それが付帯質の中でカタチとなったものが人間の内面なのです。人間の意識では一つの次元は内面と外面に別れ、そしてそれを等化するための次元を持つために夜と昼を付帯質の中に作ったのではないかと思われます。

コ 赤道とは垂質の総体の位置ですか?

オ はい。そのとおりです。カタチはすべて対化にあらわれています。

コ 地球の経線方向に作られる円(経度を決定している円)とは何ですか?

オ 力の反映。すべての方向性の調整作用。

コ 地球の緯度方向の円とは何ですか?

オ 垂質の等化の意味を持っています。

コ 地球と月の円心関係は人間の総体の内面と外面の位置の関係に当たるのでしょうか。

オ はい。そのとおりです。しかしカタチはまったく別のところにあります。

コ 地球に対する月の公転軌道の半径とは、地球から広がる空間を一本の線にまとめたもので、それを7次元の方向と考えていいですか?

オ 意味としては良いでしょう。しかしそれは交差を意味するものと考えた方が良いと思います。

コ もし、そうならば、月の公転とは7次元方向にある対化を等化している運動ですね。

オ はい、そのとおりです。

コ 月の公転周期が約28日だというのは、7次元の対化には28個の次元が存在するということですね。

オ 意味としてはそうなりますが、方向性は次元とは違うので注意して下さい。対化と次元とは少し意味が違うのです。ただし等化の意味ではそうです。

コ それら28個の次元が付帯質の内面における次元の方向性の数のことなのですね。

オ はい、そうです。付帯質の位置ではそうなってくるでしょう。

コ 地球から広がる空間の3次元性は実は6次元空間で、それは人間の身体空間と同じ意味を持っていませんか?

オ 意味としては同じだと思いますが、少しカタチが違います。反転したところで行われているものですね。

コ 4次元空間を人間の意識に顕在化させていくのが次元としての7次元空間の働きと考えてよいですか。

オ はい、そうです。交差を等化させていくということです。

コ 付帯質の内面方向は7次元の対化の等化と中和で閉じているのですか。

オ 意味としてはそうなります。

コ それは地球と月の間の空間とも言えますか。

オ はい、そうです。月の軌道とは力の柵のようなものです。

コ すべての素粒子と重力が生成しているのもその次元ですね。

オ はい、そのとおりです。

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2009/03/03

地球、月、太陽の本質(2)

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■解説

 さて、前回の交信記録19940320の内容をについてだが、構造を丁寧にやっても退屈だろうから、今回は寓話調でざっと解説してみよう。地球と月の回転に対するイメージをまずはつくっていただきたい。では、はじまり、はじまり。。

 旧約の信徒たちは地球を回しているのは天使たちだという。大天使ルシフェルが神に謀反を起こしたとき、ルシフェル側に着いた天使たちがいて、その数が365人だったというのだ。そして、その反対に神側についた天使たちも365人。その指導者はミカエルだ。ルシフェルの軍勢VSミカエルの軍勢。力は互角。この勢力の拮抗は月が決してウラを見せないことに表れているという。

 地球の自転は僕らに時間という認識を与える。日が巡り、星が巡り、その移り変わりによって四季が息づき、地上にはたくさんの命が同じように新しい生命を生み出しては死に行き、死しては生まれる。しかし、いつの頃からかこのような円環的時間の巡りは忘れ去られ、直線的時間が人類の意識を支配するようになった。ミカエルの軍勢の時間が「円」ならば、おそらくルシフェルの軍勢の時間は直線だ。いや、それはより直裁的に歴史と言い換えてもいい。年表がつねに直線に沿って記述されていることを思えば、歴史というものがいかに直線的時間に魅せられているか一目瞭然だ。

 「直線とは究極の迷路である」というボルヘスの言葉を信じるならば、僕らが現在抱いている歴史の観念もまた迷路と言える。何処に行き着くのか分からない歴史の果て。その先に希望があるのか、それとも絶望が待っているのか。歴史の上を歩み続ける人間はまるで判決のときを待つ囚人のようではないか。

 OCOTとの交信が始まる以前、僕はNOMIという意識体と交信をとっていた時期があった。もう25年ぐらいも前のことだ。この愛すべき暗黒の友は地球は魂の流刑場だと語っていた。そして、地球は虚無に向かって絶えず落下し続けているとも。もちろん、この落下は単純な直線的落下ではなく、クリナーメンのように絶えずズレを作り、渦も巻くし、多少の停止もする。しかし、全体的に落下し続けていることに変わりはない。NOMIに言わせれば、文明とはそうした流刑者たちの強制労働の結果であるという。まぁ、暗黒の友だから口は悪い。ご勘弁を。

 人間が地上に都市を建築していくこと、そして、そこで鉄骨を天に向けて空高く積んで行こうとすること。それは建築ではなく落下だということなのだ。そして、この落下を背後で阻止し続けているいる力があり、それが月だという。月はちょうどクルーザーの上で巻き取られていくリールのように、海底奥深く沈んで行こうとする地球の落下をそれこそアリアドネの糸で懸命に引き戻そうとしているというわけだ。

 例えば、地球が28回回るということは、28×24=672時間の直線的時間を落下したことになる。月は地球とは反対方向にそのリールを1回転回して、地球の落下を食い止めようとする。地球の落下を作用とするならば月はその反作用として回っているというわけだ。グルグルと機械的に回っているようにしか見えない地球と月。しかし、漆黒の宇宙空間ではまさに闇の天使の軍勢と光の天使の軍勢の熾烈な戦いが繰り広げられているということなのだろう。それにしてもこの戦いは恐るべき精度で拮抗している。作用と反作用と言われればそれまでだが、この拮抗は戦いというよりは、むしろ闇と光の調和と呼んだ方がふさわしい。

 しかし、ここでふと疑問が頭をよぎる。なぜ、地球は落下し続けなければいけないのだろうか。歴史という闇、直線的未来という不透明な場所に向かって、なぜ、地球は堕ちていかなければならないのか。それが分からない。NONIは言う。「地球を流刑場に決めたのは神だ」と。確かにルシフェルを天上界から追放したのは他ならぬ神であった。では、なぜ神は天使長たるルシフェルを堕天させなければならなかったのか。旧約には神が自分を出し抜こうとしたルシフェルに怒り心頭して追放したとあるが、こんな傲慢な神こそ世界から追放するべきである。だからその類いの記述は真実には触れていない。

 おそらく事実は全く逆なのではないか。神はルシフェルに絶対的信頼を置いていたに違いない。だからこそ地上に落としたのである。神が自らの成長のために敢えて汚れ役をルシフェルに頼んだのだ。ちょうど、イエスに諭されてユダが密告者の役を買って出たように。

 そういう経緯だらこそ、神とルシフェルの間には誰にも知られていない密約があると考える必要がある。そして、その契約が交わされているところが月。大いなる女の場所なのだ——ルシフェルよ、おまえが引き連れたかわいい365人の部下たちが無事、天上世界へと戻れるように、わたしはミカエルに命じて、その365人の天使たちの妻を月に住まわせよう。もちろん、おまえの部下たちは天上での記憶を忘れているので、それが自分の妻とは知らず敵と思って戦うことだろう。しかし、時が来たら必ず、妻の顔を思い出すように手配しておく。時が来ればおまえにも召還命令を出すことになろう。そのときは二人して世界の成就を祝うときだ。

 月はこうして神とルシフェルをつなぐ固い絆となった。365人の堕天使の妻たちは神の聖数である「13」にちなんで13のグループに分けられ、28×13=364として一年を形作るための力となった。これは月のリールがアリアドネの糸を13回巻き取とることを意味しており、神がルシフェルとの友愛を保証していることの証左に他ならない。364+1=365の1において、一年と一日は一致を見、この一致が天上と地上の一致の証左となる。ピラミッドテキストにいう「神々の1日は1年であった」という円環的時間の本質がこの一致にあるわけだ。
 
 このことから、一年=地球の公転とは1日=地球の自転(落下)を促進させている本質力と言えるだろう。地球の自転に対して月の公転がそのウラを取り、そして、その月の公転のウラを地球の公転が取る。ヌーソロジーの言葉で言えば、付帯質の外面(オモテ)→付帯質の内面(ウラ)→精神の内面(ウラのウラ)という関係で、1日と1月と1年は結ばれているということだ。

 天動説と地動説とを和解させるためには、この1日と1月と1年との対称性を取り戻さなければならない。それがヌーソロジーのいう不動の地球、月、太陽の意味なのである。

 上画像はhttp://www.nashica.com/astro/feature.htmlからの借用です。
 

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2009/02/26

地球、月、太陽の本質(1)

Pastuniverse32

●交信記録19940320

地球に対する月の公転周期28日とは何を意味するのですか。以前に付帯質が等化を行うまでの次元の数とありましたが、それは正しいのですか。

はい。

太陽に対する地球の公転周期1年とは何を意味するのでしょうか。

人間の意識における覚醒を起こす対化の数です。

1年の間に月は地球の周りを約13回公転します。このときの「13」とは何を意味するのでしょうか。

人間の意識における進化への反映を起こす対化の数と考えられるといいでしょう。

地球の一自転、すなわち一日とは何を意味するのですか。

精神が精神を交差する位置です。

1年が約365日になるのはどのような意味があるのですか。前に「365とは等化のカタチを持ったものすべてを表す次元数」といわれましたが、それは「精神の内面と外面を等化したものが再び付帯質を形作るまでの次元数」と同じような意味ですか。

方向性としては全く同じですが、正確には変換作用における対化の等化における次元数に当たります。

地球に対する月の公転と自転の周期が全く同じなのは付帯質の内面と付帯質の外面が全く等しい力で働いていることを意味するのですか。

はい、そうです。付帯質としての力の方向性が全く同じ力で働いているからです。

月の公転が付帯質の内面の次元で、月の自転が付帯質の外面の次元と考えてよいですか。

はい、よろしいです。

それは人間にとっての善なるものと悪なるものの関係と同じですか。

人間が本来の方向性を反転させていることを悪とするのならば、同じことを意味します。


■解説

 さて、いよいよ天体についての情報が出てきた。例によって「難解な、あまりに難解な」OCOTによる説明が綴られている。「取りつく島もない」というのはまさにこのことだ。

 以前、『シリウス革命』にも書いたように占星学や神秘学などとの擦り合わせで、ある程度、惑星の持っている意味はヌーソロジーの観点からも辻褄合わせを行うことはできる。しかし、ミクロ空間と違って、マクロ空間に対しては僕自身まだ肝心の描像がしっくりときてはいない。ここでいう「描像」とは、ちょっと抽象的な言い回しになるが、「大陽系空間が一体、どのような観念の表現空間であるのか」という意味での描像だ。いや、一気に大陽系空間にまで飛躍するのは身のほど知らずと言うべきかもしれない。それ以前に地球の外部に広がっている空間とは一体いかなる意味を持つ空間なのかをヌーソロジーの思考から深く再考する必要性がある。近代理性の目で大陽系を見て、そこにいくら問いかけたとしても、おそらく大陽系は自身の出生の秘密を微塵たりとも明かしてはくれないだろう。
 
 哲学でもよく言われることだが、人間の理性の目というのは架空のオールマイティーな視座から世界を見て、あたかも自らが神であるかのように振る舞っている。例えば、科学番組ではよく原始の地球の姿がCGで再現されたりする。ドロドロの溶岩が地表を覆い、そこに分厚い雨雲が覆い、長期間、雨が降り続け、溶岩を徐々に冷やして行く様子がCGのカメラアイによって描写される。しかしここで僕らは慎重になる必要がある。一体、誰がその様子を見ているというのか。そこで原初の地球を見ている目とは一体誰の目なのか。この科学自身が描く宇宙史の中では、原初の地球においては世界を見ることを可能にする眼球どころか未だ微生物の元となる有機物さえも発生していないのである。科学的理性はこの矛盾、ならびにその越権行為に対してあまりに無頓着すぎるのだ。

 科学的理性は自らが思考対象とする物質というシステムの中では極めて精緻で素晴らしい理論構築を行う。これはもちろん賞賛に値することは言うまでもない。しかし、その一方で、認識や意識の問題を全く考慮していないために、世界が差異で成り立っていることをほとんど忘却している。世界は観察者という差異を含んで初めて世界として成立し得るのであり、この観察をなし得ている力は時空に散在する物質という同一性の中で説明し得るものでは決してない。脳内のシナプスの発火が意識を生じせしめているとして、一体、その発火がどのように意識の発生と結びつくというのか、それに対して科学は語る言葉を持たない。

 この生の現場に、様々な関係性のタベストリーで織り込まれた者。それが現存在、世界内存在としての「わたし」である。それは意識という現象の名のもとに立ち表れた存在を構成しているであろう諸関係の総体の綴じ目のようなものでしかない。この綴じ目のもとに時間や空間、さらには地球や大陽系が存在しているのであって、その逆では決してないのである。自身の今見ている現実(リアル)、そしてそれを支えている諸観念から乖離することなく世界を見つめることが肝要なのだ。それによって初めて「わたし」は星の秘密と接続することが可能になる。いつも言ってることたが、惑星は決して単なる土塊として機械的に回転しているのではない。科学的理性にはまだ見えてきてはいないが、それは僕らの精神を形作ってい高次元精神の活動の痕跡(トレース)なのだ。

 とは言ったものの、一体いかにして、世界内存在としての「わたし」から見た地球や惑星にアクセスすることができるというのだろうか。そのためにはまずは身体から広がっている空間というものがどのような観念を含んでいるかを注意深く探索しなければならない。その諸観念が見えてきてこそ、僕らは真の地球に、不動の大地としての地球に立つことができる。当然、その先には不動の月、そして不動の太陽が待っていることだろう——つづく

 上画像はhttp://www.ne.jp/asahi/tk/7777/universe/pastuniverse.htmより借用しました。


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2009/02/24

DNA、RNA、細胞……先は長い。。

Bio2_mousel2_2

 さて、前回のDNAについての情報の続きだ。皆さんに分かりやすく解説したいのはやまやまなのだが、残念ながら、このへんの内容については現在のところ手も足も出ないというのが正直なところだ。ただ一つ言えることは、生物の中に見られるDNAから染色体、細胞に至るまでの構成は、OCOT情報がいうところの「真実の人間」の精神構造と深い関係を持っている。これは、原子次元でいうとアルミニウムから鉄までの元素生成の次元とある意味、並行関係にあるのかもしれない。

 精神進化が鉄の次元(精神の内面の奥裡)を凌駕するときに、精神は精神の外部に向かって力を作り出す。どうも、この場所の力が同時に人間に付帯質の内面への覚醒を送り出す力となっているようだ。元素としてはここからコバルト(原子番号27)、ニッケル(原子番号28)とその生成が続いていくが、ここからの領域は精神の外面と呼ばれ、その位置から見て中和側に見えるところが細胞分裂、つまり、卵割が始まる場所に対応するのではないかと考えている。僕がつねづね付帯質の外面領域における「人間の内面の意識総体」を精子、付帯質の内面への方向性を持った{人間の外面の意識総体」を卵子に喩えるのも、その裏にこうしたビジョンを漠然と持っているからだ。これはギリシア哲学風に言えば、ロゴスとコーラの関係にある。いわゆる神の精子とその精子の侵入を待つ子宮の関係だ。

 動物においては精子と卵子といった生殖細胞の結合によって受精卵ができ、そこから細胞分裂によって卵割が始まるが、このビジョンからいくと、卵割が繰り返されていく次元は付帯質の内面の顕在化を引き起こしているもととなっている精神の外面次元の物質的投影に対応しているようだ。実際、別のところでOCOTは「細胞分裂とは精神の覚醒」と言っている。
 卵割の形成秩序、いわゆる胚細胞内部の形態形成はその意味で、付帯質の内面の構造と同型対応する部分が出てくると思われる。とにかくこれらの情報の読み解きはまだまだ先のことになるだろう。


●交信記録19940311——2

エイズウイルスとは何ですか。

中性質が内面を持つことにより、生み出された付帯質の内面のカタチです。

DNAとは真実の人間における思形の対化と考えてよいのですか。

はい、そうです。対化の交差を行さわせるために生み出されたものです。精神の等化が行われているところです。

DNAの中のアデニン、グアニンとは自己と他者を等化する意識が存在しているところですか。

はい、そうです。同じことですが、中性質の中和という言い方ができます。

DNAの二重鎖を真ん中でつないでる水素結合とは位置の変換と転換の交差を意味しているのですか。

はい、人間の意識における覚醒と反覚醒を意味しているところになります。

RNAとDNAの違いは何ですか。

元止揚の観察精神と進化のカタチの観察精神の違いです。真実の人間による調整が行われています。

RNAの塩基はDNAの中のチミンがウラシルに置き換わっていますが、ウラシルとは何なのですか。

人間の意識における調整が行われているところです。

RNAがDNAを転写しているといわれてますが、これは何を意味するのですか。

それは人間の意識における調整を等化させていることを意味します。

転写したRNAは細胞核の外に出てタンパク質を合成するリボソームという粒子に結合するといわれてますが、リボソームとは何なのですか。

人間の進化のカタチに方向性を与えるものです。

タンパク質を構成するアミノ酸とは何ですか。

人間の意識の交替化を生み出させるための次元の対化です。

植物は光合成によってブドウ糖を作り出していますが、ブドウ糖とは何ですか。

定質の調整が内面に顕われているものだと思います。

上写真は以下のサイトから借用させていただきました。
http://rikanet2.jst.go.jp/contents/cp0490/contents/bio2_h002.html


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2009/02/20

ヌーソロジー・ロッジ開設!!

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今週始め、Ricardoさんの尽力で、ヌーソロジーのSNS「ヌーソロジーロッジ」ができました。
このSNSはヌースアカデメイアの公認SNSです。アドレスはこちらです。→ http://ouroboros.so-netsns.jp/

最初は紹介制で進めていく予定だったそうですが、
閉じた場はヌーソロジーにはふさわしくない、ということで、
Ricardoさんとの話合いの結果、オープン制でいくことにしました。
メンバー加入希望の方は、トップ画面右上の「新規登録」をクリックして、
必要事項を記入してお入り下さい。
ヌースっぽい仲間がたくさんいます。何がヌースっぽいのか意味不明ですが。。
もちろん、閲覧だけなら、下の公開コンテンツからできるようになっています。

SNSって何なのか僕自身よく知らなかったのですが、
まぁ、たまり場のようなものなのかな。。
会議室もたくさんあって、いつもカオスに陥りがちなヌーソロジーに関する議論も、
ここなら、それなりに系統立てて進めていけるのではないかと思っています。

ビギナーズの会議室も設けてありますので、
ヌーソロジーに少しでも興味のある方はどんどん参加して下さいね。
僕もできるだけ顔を出して、場を賑わせたいと思っています。

尚、ヌーソロジー・ロッジ開設に合わせて、現在の掲示板「ATRIUM」の方は2月一杯でクローズさせていただきます。何とぞご了承下さい。

では、では、ヨ・ロ・ピ・ク!!


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2009/02/19

燐光に照らされた顔

Po4
 
 
●交信記録19940311——1

DNAの中のリン酸とは思形の中の3番目の次元ですね。

はい、対化の内面性がすべて生み出されているところと言えます。

DNAの中の糖とは思形の中の5番目の次元ですね。

はい、付帯質の等化を意味する次元です。

DNAに寄生してくるウイルスとは何ですか

性質の交差によって生み出された付帯質が内面を持つことにより、カタチが等化されたもの

クローン技術が進んでいますが、前にはこのことを「人間が人間の方向を無に帰している」と言われました。一体、クローン細胞の中では何が起きているのでしょうか。

精神の交差が内面を持つということを位置としては失なわさせている状態です。

■解説

DNAの中のリン酸とは思形の中の3番目の次元ですね。

はい、対化の内面性がすべて生み出されているところと言えます。

 正直言って、DNAの世界はまだほとんど見えていない。ただこれらのOCOT情報から、皆さんもDNAの世界がいかに高次の精神活動の産物であるか、わずかながらも見当がつくのではないだろうか。現在の科学ではDNAは偶然の化学変化の積み重ねによってできた産物のように見なされているが、ヌーソロジーの観点からすれば、DNAの生成は空間に潜む人類には未だ知られていない高次元精神の活動状況だと言える。その解明はまだ途に着いたばかりだが、ここでその内容を少しばかり紹介しておこう。

 まず、注目すべきはDNAを構成する元素群である。DNA分子を構成する元素はなぜかH(水素)、C(炭素)、N(窒素)、O(酸素)、P(リン)の5種類の元素に限られている。これらのうち、H、C、N、Oの4つは、前回話したように、中和作用が持った反復性として生成の中に組み込まれた観察子群に対応させることが可能だ。しかし、不思議なのはなぜそこに原子番号「15」であるリンがいきなり介入してきているのかということだ。一体、このPってなんやねん?何でこんなもんがDNAに混じっとるねん?

 実はこのリンという元素、生物学ではDNAのみならず生体のエネルギー代謝には欠かせない元素となっており、おまけに、リン脂質として細胞膜や皮膚の形成にも深く関わっている曲者なのだ。リンについての与太話は以前「存在の皮膚」というタイトルで詳しく書いたのでここではリフレインは避けるが、とにかくリンは先に挙げた生体主要4元素を別とすれば、生物が生物であるためのアイデンティティー的存在と言える。

存在の皮膚→ http://noos.cocolog-nifty.com/cavesyndrome/2005/10/post_f848.html

 さて、ではなぜリンなのだろうか——別のところでOCOT情報は「リンとは人間を次元に関与させるための力」だと言っている。これは前回の言い方をすれば、リンが生成世界に人間という闇を引き入れるための役割を持った精神として作用しているということを意味している。僕はつねづね「人間は神のウンコだ。人間は生成から疎外されている」と言ってきたが、実際には、人間は宇宙精神が有機物を作り出すためには必要不可欠な存在であり、DNAの生成に至っては人間の意識次元がその土台を担っていると言っても決して言い過ぎにはならないのではないかと思っている。有機体としての人間。カタチを持たない精神としての人間。リンの位置を凝縮化バージョンで表したケイブコンパスで指し示すと下図1のようになる。煩雑さを避けるため奇数系観察子のみで記そう。(※ここでは前回までの流れに沿って、精神の内面次元を上側に置いている)
 
Cave_compass_p
 このリンの位置は、現時点でのヌーソロジー解析では顕在化した次元観察子としてのψ*3、つまり、他者の知覚正面に当たる。つまり、ここで精神は彼岸へと到達しているわけだ。この位置は人間の意識にナルシス的自我を与えるための最初の契機となる「鏡」の機能を持つ精神の位置を持つ。他者の視野空間と言えばもっと分かり易いかもしれない。
 この次元観察子ψ*3は図には表していないが、下位(付帯質の外面)に実は次元観察子ψ4を引き連れてくる。このψ4とは何かというと、モノの手前に「わたし」という存在が位置づけられていることによって派生してくる人間の認識における空間の3次元性のことだ。つまり、リンは3次元空間の概念を作り出す根本的な原因となっている力なわけだ。おそらくその意味なのだろうか、OCOT情報では、リンは別名「付帯質の念因(ネンイン)」とも呼ばれている。僕が人間の内面(物質空間)のことを仄暗い空間と呼ぶのも、人間の内面の基礎であるこのψ4の球空間が、リンが放つ燐光、つまり、他者が見ているであろうわたしの背後世界を照らし出している想像的な光によって生じていることを常々イメージしているからだ。当然、この光は盲人でも捉えることのできる光であり、ボルヘスによれば、それは深い藍色だという。まさに深海の色だ——自分の顔を見ている他者の視野空間を想像すること。また、その視野空間によって自分の顔がイメージされていることを確認すること。。

 このリンの原子番号「15」は奇しくもタロットカードでは「悪魔」に相当するナンバーでもあるのだが、ここには偶然とは思えない奇妙な一致がある。それは英語でのリン(phosphoros)の語源がギリシャ語の「光をはこぶもの」という意味を持っているということだ。これは知っての通り、ラテン語ではルシファー(Lucifer=光を運ぶ者)の意となる。

 他者とは彼岸に存在する神同然の存在だとヌーソロジーでは常々言ってきた。しかし、このオカルト的符合は、他者とは同時に容易に悪魔にも成りえる対象でもあるということの教唆なのだろう。神と悪魔とは、実のところ、同じものを二つの異なる角度から見たときの別々の呼称にすぎないのだ。確かに、他者の眼差しは「わたし」という定点を発生させるためには必要不可欠な存在だが、その眼差しに「わたし」が囚われの身となり、遂にはその眼差しそのものに「わたし」が同一化し、「わたし」がわたし自身の眼差しを放棄するまでにいたったとき、世界は一挙に暗闇と化し、わたしは一人、闇を徘徊するオイディプスと化す。「透明な存在」における受動的ニヒリズム。これがOCOTのいう「精神進化の方向性を失ってしまった力」の世界、つまりスマルのことだ。この構造から垣間見れる教訓が一つだけある。それは彼岸へと渡る道には二通りのものがあるということだ。ひとつは自己克服の道で、一つは自己放棄の道。後者は人間の惰性力で容易に到達することができるが、そこにはもはや精神は存在しない。前者は自己を生き切ったときに初めて見えてくる場所なのだろう。存在のエチカがここにある。

 冒頭の図が示す通り、このリンはDNA分子の中ではP04(リン酸)として組み込まれているが、このリンに付着した4つの酸素原子は宇宙精神がリンの生成次元に辿り着くまでに、2回の転換作用の対化(酸素分子)を必要としていることを表している。ごく簡単ではあるが、リン酸=PO4という概念のカタチがどこに存在しているかを目の前の空間で説明しておこう。

 今、君の前には君が客観世界と呼ぶ空間(時空)が広がっている。それを作り出している概念が酸素だ。おそらくそれは他者側からも見えていることだろう。そうした君の認識のカタチそのものが二つの酸素原子を意味している。そして、君はこれと同じ認識を他者が持っているであろうということもまた認識している。それがO4だと考えるといい。そして、そこに、それを見ている君自身の位置がポツンと投げ込まれているのが分かる。その位置は他者の眼差しであるリンによって照らし出された位置であり、この位置そのものは元素としては原子番号16番のS(イオウ)として機能してくることになる。深海の海底から吹き上げてくる黄褐色のSO2=二酸化イオウの気泡。これもまた生命の発生には不可欠な物質とされるものである。

 いずれヌーソロジーはDNAの分子構造のすべてを目の前の空間の中に表現して見せてくることだろう。そのときは、この世界そのものがDNAの中に存在しているということが明瞭に知覚されてくるはずだ。OCOTがDNAのことを「概念の位置」と言っているのも、DNAが人間にとっての真実の脳であるからに他ならない。

(冒頭の図はhttp://www.tmd.ac.jp/artsci/biol/textbook/nucleus.htmより転用)

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2009/02/17

原子と分子

●交信記録19940222

素粒子の次元と原子の次元の違いとは何なのでしょう?

第一関与自身がその内面に生み出したものと、内面の反映に生み出したものとの違いです。

第一関与とは何ですか?

………………。

それは付帯質の外面にあるものと、付帯質の内面にあるものの違いと考えていいですか。

はい。

それは次元と次元交差の関係ですか。

はい。

原子と分子の違いは何ですか。

精神作用が原子で、感性作用が分子という言い方ができます。

原子が精神進化が直線性として現れたもので、分子が精神進化の反復性のような気がしますが。。

はい、その通りです。

カタチが原子ですか。

はい。原子とはカタチの総体です。

素粒子の体系とは付帯質の内面における次元の方向性が人間の内面の次元に現れたものなのですか。

はい、人間が持った方向を変換している力の総体と考えるといいでしょう。


■解説

 似たようなテーマばかりが続いて皆さんには申し訳ないのだが、交信が続いている当時は素粒子と原子の次元がどのように絡み合っているのか全く見当もつかず、このように何度も何度も同じような質問を繰り返していた記憶がある。

 ここでも質疑の焦点となっているのはやはり素粒子と原子、さらには原子と分子といった物質を構成している諸要素における次元の違いだ。そもそも皆さんには素粒子と原子の次元の違いという言葉すら何を言っているのか意味不明かもしれない。ヌーソロジーに馴染みがある方は、ヌーソロジーがヘルメス主義的世界観をベースにして、現代科学が仔細にわたって分析、解明してきた物質世界の構造を精神の構造へと翻訳させるための思考製作であることはもうご承知のこととは思うが、蛇足ながら、その入口のコンセプトについて簡単にまとめておこう。

1、人間は重力によって時空という迷宮の中にその意識を投げ込まれている。
2、そこは物質という同一性が支配する差異なき差異の世界である。
3、そこに本性上の差異としての主観の場(知覚野)がくっついている。
4、主観は知覚に始まって内在として主観固有の意識領域を持っており、その領域の中で他者を認識し、客観を形成している。
5、この知覚に始まり、感性や悟性を発達させ、客観、さらにはそれらの綜合体としての超越論的主観性(現象論的自我)に至るまでの構造を裏で作り上げているなにがしかの力の流動構造がわれわれの意識の裏に存在している。
6、この裏の機構をヌーソロジーでは人間の無意識構造と見なす。
7、この無意識構造は現代物理学が内部空間と呼んでいる素粒子の場の空間として表現することがおそらく可能である。

 とまぁ、このようなコンセプトでこの「人間という世界」を何とか物質発生の始源の場所としてイメージし直す方法を思案しているのだが、いまだに土台があやふやだけに、この機構の上位に原子の機構を精緻に配置していくのはなかなかの難事業ではある。こと分子となると尚更だ。

 分子は普通、原子が寄り集まってできるものと考えられている。もちろん、分子は複数の原子が電気的に結びついて生成されるものであるから、それはそれで正しいのだが、自然界の中に数千万種類にわたって存在する分子群の中でも圧倒的なシェアを占めているのは有機物を構成する分子だ。化学的にはそれなりの説明がつくのだろうが、なぜ、無機物より有機物の方が圧倒的に種類が多いのか皆さんは疑問に思われたことがないだろうか。

原子と分子の違いは何ですか。

精神作用が原子で、感性作用が分子という言い方ができます。

 精神構造を観察子の序数で見ると、1番から8番の間で循環する構造を持っている。「8」という数はシステム全体を中和させる働きの象徴数で、これは精神構造全体を初期化させる意味を持っている。水分子H20はその最も基本となる現れで、これは「8」(酸素の原子番号)によって中和された全体性に再び「1」(水素の原子番号)の方向性が対化して付着している様子を表している。このブログにも何度か登場したが「脈質」というやつだ。感性作用というのは、大まかにいってこの「8」と「1」の結合が持った作用のことである。これは言ってみれば、上次元側(「7」を作り上げた意識)から見た人間の意識次元のことを意味している。——物質という場に落とされて再び、意識が方向性を調整しているということ。

 上の内容で「原子が直線性」で、分子が「反復性」とあるのも、原子(自然界では92番のウラニウムまで存在している)がリニアルに精神進化の積み上げを表現しているのに対して、分子側はつねに「8」で初期化され、再度、その「1」から「8」を巡るループをグルグルと反復させられているのではないかと直観したからだ。この「直線性」と「反復性」の関係は下図1のように単純に直線の上を転がっていく円環を想像すればいい。
 
Line_circle
 
 円環を八等分して1〜8までの目盛りを打つとしよう。直線側はこの円環の12倍の長さがあって、リニアルに真っすぐ延びているとする。直線には目盛りが8×12=96までふってある。この直線上を円が転がっていけば、当然、円は12度回転し、直線上の目盛りは円環上に12層にわたって目盛りの階層を作ることになる。このときの直線の方を原子の生成秩序に喩えれば、転がる円環の方の回転による反復性が有機分子の生成秩序の喩えになっているということだ。

 何度となく精神を進化させていこうとも、そこには必ず元の場所に戻されてくる白紙の精神がある。この引き戻しは仏教的にいうならば、業(カルマ)の運動のことであり、この業がサンサーラ(輪廻)のシステムを形作っていると考えられる。ヌーソロジーにおいては輪廻しているのはこのように宇宙精神そのものなのだ。

「8」とは原子番号で言えば酸素のことだが、これは顕在化においては転換作用の意味を持っている。転換作用とは意識進化が起こったときに、その進化の反映として次の人間の意識次元を用意するために意識を初期化する精神の作用のことである。上生(じょうしょう)する弥勒と下生(げしょう)する弥勒。これらは決して上生する進化側が上位で、下生する反映側が下位に位置することを物語っているわけでは決してない。次なる進化が生まれ出ていくためにも、下生は精神にとっては必要不可欠な運動であり、下生の方が後手に生まれたものという意味では、上生にとって下生は自らがさらに成長していくための下半身的存在だといえる。

 生物が幾種類もの有機分子からなるのも、生態系全体に次なる精神進化が委ねられているからなのだろう。とりわけ、ホモサピエンスとしての人間はその中でも最も下生した精神の姿であり、OCOTはその最も下位の力のことを「完全性質」と呼んでいる。これは完全なる中和を持った力という意味だ。この完全なる中和状態が反対側の完全なる等化と結合するところに創造のアルファとオメガとの連結が起こっているのだろう。純粋贈与と純粋享受の接点としての人間存在。

 こうした永遠回帰を巡る円環性のイメージからすれば、人間が抱く闇こそが生命力の本質だとはいえまいか。中和された精神の中で闇をまさぐり地中深く根を張を張ること。闇の中で水分(言葉)を吸収し、そこに光(知覚)を持ち込むことによって絶えず光合成を繰り返し行っていくこと。それが下生した精神の定めであり、この精神の営みによって生命全体、否、宇宙全体は支えられているのだ。


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2009/02/12

重力の起源(水の洗礼)

Jsenrei005

前回からのつづき——

原子番号13番のアルミニウムから20番のカルシウムとは付帯質の変換を観察していく力ということになるのですか。

そうです。見つけ出すものを人間の内面に生み出していく力です。

見つけ出すものとは何ですか?

………………。

そこが真実の人間の次元と考えてよいのですか。

そうです。真実の人間の牽性(ケンセイ)が作り出す要請(ヨウセイ)によって、ヒトの外面性が生み出している力ということになります。

■解説

 以前、現在の僕らの意識の在り方(人間の内面の意識領域)が重力に支配されているという旨のことを書いた。エゴが強い人のことをよく「あの人、G(ジー/重力の意)がきついよね」ということがあるが、これも僕らが人をエゴイスティックな存在にしている力とgravity(重力)の間に何らかの類似性を直感的に感じとっているからなのだろう。

 通常の物理学で考えるならば、物質=質量があるからこそ、そこに重力が生まれると考えるのだろうが、ヌーソロジー的な考え方からするとこれは逆だ。つまり、重力があるからこそ、そこに物質が生まれていると考えた方がいい。何がいいたいのかというと、物質とは本来、人間の意識と無関係に自立して存在している即自的な存在などではなく、意識が概念の力によって表象している一種の概念的存在だということだ。そして、OCOT情報に従えば、この概念の力がどうも重力と深く関係しているようなのだ。このことは裏を返せば、もし僕らが物質という概念を意識から消し去ることができれば、重力もまた消滅するということを意味する。

 しかし、物質概念というものは人間が自らが意図して作り上げた概念ではない。なぜか理由は分らないが、僕らの意識は自然に物質の3次元性を知覚し、物質世界という客観性を自然発生的に自らの認識の中に作り上げてしまっている。要は時間や空間と同じく物質もまたアプリオリな直観形式の一つとなっているわけだ。この直観の成立の裏で働いているもの――これもまた無意識の働きといってよいものだ。僕らの知性には未だはっきりとした対象としては浮かび上がってきてはいないのだが、僕らの意識に否が応でも物質こそが実在なのだと強固に指向させている何らかの無意識の機構がある。上の交信内容にある「見つけ出すものを人間の内面に生み出して行く力」とはまさにそういう無意識の機構の力のことを言っていると思ってほしい。そして、その機構が物質としてはアルミニウムからカルシウム(予測としては26番の鉄までを含むものかもしれない)に至る元素群として見えている、ということなのだ。

 詳細はよく理解できていないのだが、アインシュタインの一般相対論では重力とは時空の湾曲として説明される。この湾曲は質量が存在するところに発生する力と考えられているのであるから、必然的に質量が存在していないところでは重力もまた発生しないということになる。僕らの宇宙を見る限り、質量の存在しない時空なんてものはどこにも存在していないので、湾曲のない平坦な時空というのは言ってみれば物理学的な虚構ともいえる。もし平坦な時空というものに存在論的意味を与えるとすれば、それはいかなる質量の存在も許容しないという意味で「虚無」の場の物理的表現といってよいものかもしれない。物質なき場が虚無だとすれば、物質の由来を知らない人間の意識がまさぐっている時空もまた虚無そのものの住処ということになるのだろう。

 まだ、予想の段階にすぎないが、おそらく、重力とはヌーソロジーでいうところの精神の内面(真実の人間の内面)へと方向づけられた力のことではないかと考えられる。上の交信内容に即して言えば、「真実の人間の牽性(ケンセイ)が作り出す要請(ヨウセイ)によって、ヒトの外面性が生み出している力」だということだ。ここでいう真実の人間の内面とは現在の人間においては鏡の機能を果たしているもの、つまり、「わたし」から見た他者における人間の外面に対応している。「わたし」という存在の起源は「他者によって見つめられている」という経験に根ざしているということをこのプログでも再三にわたって話してきたが、この鏡像形成のための視線からの解放が、自我の解体の契機となるものであり、引いては重力からの解放につながっていくということなのだろう。ここで、参考までに付帯質の外面と内面、そして、精神の内面の関係性をごく簡単に図で説明しておこう(下図1参照)。

Gravity_origin

 この図からも分るように、精神の内面の次元は付帯質の外面の次元を二度反転させることによって到達する次元だ。まだ定かではないが、この変換性は物理学が重力と素粒子の力を統合する際に用いている超対称性変換という数学的変換と酷似しているように感じられる。というのも、超対称性とはボゾン(力の粒子)とフェルミオン(物質粒子)の間の対称性のことを言うのだが、重力と素粒子世界の力はこの変換を二度行なうことによって統合することができると物理学では考えられているからだ。

 この図で言えば、付帯質の外面次元における人間の内面の意識構造がボゾンを作り、人間の外面の意識構造がフェルミオンを作っている。これら両者の対称性を実現するためには、まず一度目の超対称性変換を行なわなければならない。これが付帯質の内面への反転だ。この反転によって、人間の内面と外面の関係が相互に入れ替わり、物理学的にはボゾンとフェルミオンを統合する対称性を見い出したことになる。このことは、ヌーソロジーの言葉で言えば「人間の外面と内面の意識における等化」を意味することになる。ここに生まれてくるのがヒトの内面と外面の意識である。

 付帯質の内面次元ではヒトの内面の意識とヒトの外面の意識が働いている。ヒトの外面の意識は図からも分るように、その上位次元である精神の内面に向けて方向性を持っている。つまり、精神の内面とは付帯質の内面をさらに反転させた方向性を持っているということだ。この付帯質の内面から精神の内面への反転は物理学的に言えば、超対称性変換を再度、行なうことと同じ意味になる。わたしたち人間が人間の内面の意識(時空・物質認識)を先手として持たざるを得ないのは、このように精神の内面の次元で、真実の人間の内面の意識が先手で動いているからだと考えられる。

 人間における意識(人間の内面の意識)と無意識(人間の外面の意識)の関係性を一度ひっくり返し、まずは人間の意識の裏側に出る。これがヌーソロジーでいう付帯質の内面への侵入、つまり顕在化と呼ぶ出来事だ。そして、その次元をもう一度裏返して表側へと戻る。しかし、この二度の裏返しの後に経験されてくることになる表は最初の表とは同じ次元にはならない。それは最初の表を表たらしめた上位の力の在り場所である。一度目の裏返しで表に対して裏を作り、そこで表裏の相殺関係を作り出す。そして、次なる二度目の裏返しは相殺される以前の表を存在させるための原因となっていた次元に出るための裏返しだ——つまり、人間に内面の意識を先手に取るように働いている元の力の次元に出ることである。重力の本質はおそらくそこにある。

 ヨルダン川の河畔でバフテスマのヨハネに首根っこを押さえられ、水の中に顔を沈められたイエスの洗礼時の姿を思い浮かべてみよう。水中では息苦しさと泡(あぶく)の音で世界に対する知覚は朦朧となり、意識の視野は極端に狭められる。これは洗礼という名を借りた一種の暴力でもある。水の洗礼とは水の受難でもあり、それを人間の霊に課すのはもちろん、聖書においては神である。しかし、一方でこうした暴力がなければ神は世界を人間に贈与することができなかったとも言える。重力はこ自然界の安定のためにも働くが、同時にその自然界の中で人間に労働を強いている力でもある。その意味で言えば、人間とっての労働とは重力へのささやかなる抵抗とも言えるだろう。そして文明が労働の産物である限り、それらはすべて重力の恩恵に与っていると同時にまた、重力からの解放を求めている運動の現れと見ることができる。重力に付き従うものが被造物の世界だとすれば、創造とは重力に抗うことである。

 重力によって人間は時空の中に首を突っ込まされ、そこに転倒した意識の姿としての物質を見せられる。素粒子の力はその転倒した生成を本来の生成に戻すべく、逆の変換を施している。重力と素粒子の力の間にあるこのカベは人間が反動的生成から真の生成へと向かうために乗り越えなくてはならないカベである。外部(付帯質の外面)に意識を拡大して、マクロに外延的思考を持つのではなく、内部(付帯質の内面)に意識を収縮させミクロに内包的思考を持つこと。光速度の思考、無時間の思考、実存としての思考を行うこと。いずれせよ、こうした切り替えが意識進化というものの入り口であることに変わりはない。

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2009/02/06

鏡の中のイシス

前回からのつづき——

原子番号13番のアルミニウムから20番のカルシウムとは付帯質の変換を観察していく力ということになるのですか。

そうです。見つけ出すものを人間の内面に生み出していく力です。

見つけ出すものとは何ですか?

………………。

そこが真実の人間の次元と考えてよいのですか。

そうです。真実の人間の牽性(ケンセイ)が作り出す要請(ヨウセイ)によって、ヒトの外面性が生み出している力ということになります。

■解説

 前回、付帯質の外面と内面というヌース用語についてごく簡単に説明した。
 何とも堅苦しい語感で自分としてもあまり好みの音韻でもないのだが、OCOTにそう不遜もできない。ヌーソロジーでも正式に採用している。
 
 さて、ここでは原子番号13番のアルミニウムから20番のカルシウムが持っている精神の働きとしての意味について聞いているのだが、一体、どのような動機でこのような質問をしたのか今となっては記憶が定かではない。「付帯質の変換」と自分で言っておきながら、実は当の本人も意味などさっばり分っていない。とにかく、当時は、当てずっぽでもいいからパズルのピース収集をするしか手だてがなかったのである。

 しかし、今、こうして読み直してみると、我ながらかなり鋭い質問をしている。それなりの構造のビジョンを抱いていたのかもしれない。何せ交信から丸5年が過ぎていたのだから。そこからさらに15年、合計20年という長い解読作業を続けてきたおかげで、今はこれらのOCOTの返答が手に取るように分る。その内容が真実かどうかは別にして、やはりOCOT情報はある一貫した論理によって見事に構成されているようだ。それもとてもシンプルな論理体系である。そう、ヌーソロジーは概念さえつかめれば、その思考様式は極めて単純なものなのだ。

 コスモデュナモス(動的宇宙構造)としてのタカヒマラは前回,紹介した「付帯質の外面」「付帯質の内面」を含めて以下、合計4つの意識次元から成り立っている。

1、付帯質の外面(人間の内面と外面の意識)………プレアデス
2、付帯質の内面(ヒトの内面と外面の意識)………シリウス
3、精神の内面(真実の人間の内面と外面の意識)………オリオン
4、精神の外面(ヒトの上次元の内面と外面の意識)………シリウスの上次元

 これら4つの意識次元は、以前、説明したように、カバラの体系におけるアッシャー(活動)、イェッツェラー(形成)、ベリアー(創造)、アツィルト(流出)という四世界にほぼ対応していると見ていい。ヌーソロジー的解釈では、以前も解説したように、ルーリア・カバラを念頭に置いているので、アッシャー界は上位のベリアー界によって動かされ、イェッツェラー界は同じく上位のアツィルト界に動かされていると考えている。こちらを参考にして下さい→ 「時間と分かれるための50の方法(31)」

 当然、これら4界の構造は原子構造にも反映されていて、その対応を示すとおおよそ次の通りだ。

1、付帯質の外面(重力場、素粒子世界、原子番号1~2)
2、付帯質の内面(原子番号1~14)
3、精神の内面(原子番号13~26)
4、精神の外面(原子番号25~38)

 アッシャーがベリアーによって、またイェッツェラーがアツィルトによって動かされているように、付帯質の外面は精神の内面によって、同様に、付帯質の内面は精神の外面によって動かされている。[1—3]のコンビネーションでタカヒマラが活動を行なっているときが調整期であり、[2—4]のコンビネーションで働いているときが覚醒期に対応する。その意味で現在は[1—3]=調整期の終焉地点当たりに位置しており、僕ら人間の意識を活動させている真実の人間の意識は原子番号で言えば、26番の鉄を経て精神の外面の次元へと方向を変え、27番のコバルトと28番のニッケルへと進みつつあると考えるといい。このとき、同時に、人間の意識は付帯質の外面世界を後にし、付帯質の内面であるリチウムから始まる原子番号3以上の次元のカタチを顕在化によって再構成していくというのが目下のところのシナリオだ(とりあえずの仮定)。その流れで言えば、『時間と別れるための50の方法』で示した次元観察子ψ1〜ψ8のカタチは、noos(創造的知性)が水素から酸素までの本質に触れたということになる。次回のシリーズ『4つの無意識機械(仮称)』では、さらにψ9〜ψ14まで、すなわち、原子番号でいえば9番のフッ素から14番のケイ素までの実体に関してその解説を試みていくことになる。手前味噌な話ではあるが、イシスの作業(器の再生)の全容の紹介がとりあえずはこれで一件落着するわけだ。

 さて、「わたし」という一人称が権力を持っている現在の人間の意識では少し分りにくいかもしれないが、上に挙げた「精神の内面」とは実のところ、僕らが「他者」と呼んでいる次元に相当している。カバリストたちが聞くとびっくり仰天するかもしれないが、ヌーソロジー的文脈から言えば、他者とはベリアーのアダム、つまりアダム・カドモンそのもののことなのである。もちろん、ここで言っている他者とは、いつも言っているように絶対的外部としての他者のことである。無数の目(Os-iris)が亡き父オシリス(オリオンに相当する)の語源であったことをもう一度思い出してほしい。[1—3]の関係によって、精神の内面が付帯質の外面をリードしていく働きを持っているのであれば、意識進化というものは「あなた側」からの呼びかけによってしか起こり得ないということになる。「あなた」と「わたし」の立場を逆転させれば、逆もまた真なりである。

 OCOTはなぜ自らを冥王星の意識体と称したのか——このことは僕にとって長い間、重大な謎だった。なぜ、ヴェガでもなく、アンドロメダでもなく、大陽系の辺境の一惑星だったのか(もっとも、今では準惑星に格下げを食らったが)。その謎も今では九分どおり解けている。つまり、奇妙な言い方になるが、OCOTとは「あなた」だったのだ。「あなた」からの呼びかけだった。だから、こうして、僕は今、物質という洞窟を通して、彼岸にいるもう一人の「わたし」にもう一人の「あなた」として呼びかけている。声の通りは少しはよくなっただろうか。

 観察子の序数で言えば、太陽と冥王星は「5」と「11」という関係によって互いに表裏の関係にある。「5」を自己の場とすれば、「11」とは「わたし」から見た「5*」、つまり、あなた自身が見ている世界そのものことであり、自己側の無意識は常にこのψ*5への到達を目指して動いている。つまり、無意識の欲望のベクトルは常に「あなた」を欲しているのだ。人間が築いてきた歴史はすべてこの「あなた」へと向かう苦難の旅でもある。真実の愛というものがもし存在するとするならば、それはこの彼岸の「あなた」へと「わたし」が変身することにほかならない。そうした認識をいかにして達成するか、それが問題なのだ。

 冥王星がもしψ*5の天体的顕現ならば、僕にとってOCOT情報とはまさにほんとうの僕から発せられている情報でもあったということになる。いうまでもなく、この「ほんとうの僕」とは僕を僕たらしめ育て上げた「鏡」のことであり、この鏡が僕の中で僕のことを見ている真実の主体となっているのは心理的には至極合点のいくところでもある。自分の背後を見ている者、そこに僕の顔は映し出され、その顔をいつも見ているもう一人の僕がいる。それがほんとうの僕なのだ。それは僕があなたと呼んでいる者にほかならない——インラケチ!!、二枚の鏡の中に秘められた光の秘儀。でも、こうしたことをここで言っても、「あなた」には何のことかさっぱり分らないかもしれない。僕から見た「あなた」は「あなた」のもとではつねに「わたし」へと人称を変えてしまうのだから。

 まぁ、こういうややこしい話はまたの機会に譲るとして、交信記録の解説をつづけよう。——つづく

Mirror_isis

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2009/02/04

コーラ、存在の子宮

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●交信記録19940216

窒素の次元と陽子の次元の違いは何ですか。

付帯質の内面にあるものと、付帯質の外面にあるものとの違いです。

中性子の次元と酸素の次元の違いもその関係と同じなのですか。

はい。

宇宙空間と大気圏の関係もそれと同じと考えてよいですか。

はい、その通りです。方向が逆だということですね。

原子番号13番のアルミニウムから20番のカルシウムとは付帯質の変換を観察していく力ということになるのですか。

そうです。見つけ出すものを人間の内面に生み出していく力です。

見つけ出すものとは何ですか?

………………。

そこが真実の人間の次元と考えてよいのですか。

そうです。真実の人間の牽性(ケンセイ)が作り出す要請(ヨウセイ)によって、ヒトの外面性が生み出している力ということになります。

■解説1

窒素の次元と陽子の次元の違いは何ですか。

付帯質の内面にあるものと、付帯質の外面にあるものとの違いです。

中性子の次元と酸素の次元の違いもその関係と同じなのですか。

はい。

宇宙空間と大気圏の関係もそれと同じと考えてよいですか。

はい、その通りです。方向が逆だということですね。


 ヌーソロジーにとって素粒子の世界とは哲学者たちが「場所」と呼んでいるものにかなり近い。曖昧で漠としたイメージではあるが、意識の中には確かに場所とも称したくなるような何らかの領域の区別がある。たとえば「わたし」について考えてみよう。「わたし」とは単なる生理的身体(肉体)のことを指すわけではない。だから、わたしという場所は、単に時空的な位置を指すものではないだろう。「あなた」についてはどうだ?あなたにしてもたぶん同じだ。あなたとはあなたの肉体のことをいうのではないし、あなたにはあなたがあなたであるためのあなただけの場所というものがある。その場所があなたを規定しているのだ。では、「わたしたち」や「あなたがた」についてはどうだろう?何か集団で議論をやっているとき、これも漠とした感覚ではあるが、賛成派と反対派の意識がまるで一つの一つの塊のようにして、それぞれ場所のようなものを持っているような気がするときがある。とすれば、外在世界という空間性もそれら意識における多くの場所の中の一つにすぎないのではないかという感覚が芽生えてくる。そうなると当然、今度は、時間の場所、歴史の場所、国家の場所なんてものがあってもおかしくはない。哲学者が場所と呼んでいるものとは、こうした存在論的な差異を形作っている場所のことと考えればいい。

 こうしたどことも言えない「場所」という概念のルーツは、おそらくプラトンが『ティマイオス』で語った「コーラ(chora)」という概念に起源があるのだろう。プラトンにとって世界の本質はイデア界にある。その意味で、人間世界に現れた自然現象は洞窟の壁に映る影のようなものでそこには本質はない。つまり、自然界そのすべての営みが影=似像とされるわけだ。だから、思考にしろ、感情にしろ、自然界の似像を媒介にして営まれている表象や言語による人間の意識活動全般もまた本質に触れていないという意味で似像といってよいものだ。イデアを父なるものとすれば、自然界や人間の意識の生産物はすべて子なるものと呼んでいいのだろう。

 さて、プラトンはこのイデアとその似像という二者関係の間に、第三項ともいうべき「コーラ(chora)」という概念を置いている。プラトンによれば、コーラは以下のような特徴を持つとされる。
 
 1、生成物を入れる容器
 2、無時間性
 3、叡智的なものでも感性的なものでもない
 4、火、地、風、水の四元素が存在するところ
 5、五つの正多面体(プラトン立体)と関係を持つ
 6、モノを占めている空間のことである(アリストテレス)

 多くの研究者によれば、イデア=父、人間=子とするならば、このコーラは母に対応するものとされているのだが、ただ、その具体的な説明となると、どうも難解で、あのデリダさえも「われわれはまだ、受け取ること、この受容体が持つ〈受け取ること〉というのが何を言っているのかを、考えてはいない」と言っている。

 意識に生み出されている様々な表象や言語、それらをバラバラに飛散させることなく、カテゴリー化させ、グループ化させて秩序立てると同時に、また解体し、接合させ、流動、循環、反復を繰り返し行なっていくような、生きた意識の原器の蠕動がある。その原器こそがコーラと呼んでいいものだろう。

 さて、このコーラだが、ニュアンスから見ると、これはOCOT情報がいうところの「潜在化した元止揚」というものに極めて近い。僕が常々、人間の無意識構造と呼んでいるもののことだ。潜在化した元止揚は文字通り、人間の意識の生産物とは絶対的に隔絶された差異を持った何ものかであり、それは、生産されるものではなく、元から、そこにあり続けているものでもある。と言って、それはイデア(物質を創造した神の観念)とは少し異なる。なぜなら、潜在化した元止揚とは、あくまでも、人間の知性と感性の調整を行ないながら、最終的には個体を完成へと導いていく構造体であって、その間は、決してその正体を表さない、それこそ、神秘のヴェールに包まれた処女の裸体ごときものだからである。創造的知性としてのnoosが人間の意識に発現し、その元止揚を発見したときには、人間の意識はもう人間の意識と呼べる次元には存在しておらず、発見された元止揚そのものも、それは「顕在化した元止揚」として、「潜在化していた元止揚」とは別なものに変わってしまう。この発見された元止揚そのものがヌーソロジーがイデアと考えるものだ。つまり、この論理でいけば、発見されることもなく「潜在化した状態としての元止揚」は決して知性には現れることのない、まさにプラトンがコーラと呼んだものにふさわしい存在となる。

 OCOT情報によれば、潜在化した元止揚とは人間という方向を進化の方向へと変換している場だと言う。また、それだからこそ人間には意識が持てているのだという。神話的に言えば、これは迷宮に入り込んだテセウスに巻き付けられたアリアドネの糸だ。人間自体はすべてが中和された場に、観察精神の付帯質=肉体として生み出されており、それが投げ込まれているところは時空という光なき漆黒の領域である。OCOTによれば、この闇の領域に人間の意識を突っ込ませているの力が重力であり、この重力は質量と結託して物質という幻想を時空の中に凝結させている。その意味で言えば、重力とは父の力そのものであり、父によって子は水〈3次元性〉の中に沈められ、洗礼を受けているということになる。この方向を水上へと変換しているのが、潜在化した元止揚と呼ぶもので、それは物理的に言えば、重力に抗う素粒子群が持つ力に相当している。10年前の『人神』から一貫して言い続けているように、重力と素粒子の力は方向性が全く逆なのだ。

 ヌーソロジーでは重力が働いている領域は人間の内面の意識領域と呼び、素粒子が働いている領域は人間の外面の意識領域と呼ぶ。これら両者を合わせたものが「付帯質の外面」の次元となる領域である。付帯質の外面においては人間の意識の変換性は働いているものの、それはあくまでも潜在化しているがゆえに、明確に知性の対象となることはない。いわゆるこれがコーラ=潜在化した元止揚だ。しかし、時が巡ってくると、知性はその方向性をその潜在性へと向け始める。永遠の処女はその股間を開き、ロゴス(種子)を迎え入れ、母なるものへと変身を果たすのだ。この母としての領域がOCOTが付帯質の内面と呼んでいるもののことだ。いわゆる元止揚が顕在化してくる領域のことだ。コーラとして存在させられていた素粒子構造は、この劇的な変身によって、原子番号1番から14番までの元素へとその姿を変えていく。ここが顕在化した元止揚が働きを持つ領域、すなわち、シリウス(ヒト)という場になる。
 

1、付帯質(フタイシツ)の外面、内面という表現の由来

 付帯質とは外在として僕らがモノと呼んでいるもののことです。僕らは普段、自分自身をモノの外部に措定して、そこからモノを見ていると考ています。つまり、現在の僕らの常識では、人間はモノを外からしか観察できない宿命を持っているわけです。このときにいうモノの外というのが付帯質の外面の意味だと思って下さい。付帯質の外面においては内在世界というものは、さっきも言ったように、非常に曖昧な場所としてしか感受できません。こういう場所の曖昧さをOCOTは「人間の意識が持った不確実な方向性」と言っています。つまり、人間の意識は内在の場所を空間のかたちとして示せないわけです。こうした状態が、先にお話しした潜在的な元止揚が活動している状態です。

 付帯質の外面がモノの外部だったわけですから、付帯質の内面とは、当然、モノの内部ということになります。つまり、人間が自分はモノの外部にいるのではなくて、モノの内部に存在しているのだ——と考えるようになったときの意識の場所の総称です。主体がこのモノの内部に位置を持つためには、人間の外面の意識(潜在化した元止揚)を覚醒させる必要があります。その第一歩がいつも言っているように、知覚正面自体を人間の主体そのものだと考えることに当たります(位置の交換)。

2、付帯質(フタイシツ)の内面へと移動する方法

 知覚正面は『時間と別れるための50の方法』で何度も説明してきたように3次元空間の中に含まれるものではありません。それは正の4次元方向(4次元空間)にあるものです。知覚正面にある奥行きを遠い世界として考えると、そこにはまず時間が入り込んできます。つまり、遠くのものは過去と同意となり、奥行きは時間という負の4次元を重ね合わせてくるわけです。しかし、知覚正面そのものに映し出されている像そのものはベッタンコであり、そこには奥行きは存在していません。いかに遠くの世界であれ、知覚正面ではココにあるわけですから、このココは過去から現在に至るまでの時間をすべて含んだココになっていると考えられます。ヌーソロジーの考え方は、そうしたココこそが主体の位置ではないのか、と言っているわけです。その意味でこのココは時間を持ちません。4次元の長さが限りなくゼロに近いところまで縮められているということです。ですから、何かモノを見た場合、知覚正面上での視線は3次元的な感覚で言えば、すでにモノの中に入り込んだただ方向だけを持った極小の線のようなものになってしまいます(スピノール)。これが付帯質の外面から付帯質の内面へと移動する方法だと考えて下さい。4次元の人間は自在にモノの中と外を出入りできるのです。

写真はウォーターハウス「アリアドネ」(http://blog.goo.ne.jp/chimaltovより借用)


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2009/01/30

鉄の精神

Iron
今回の解説はかなりいっちゃてます。気にしないで雰囲気だけ味わって下さい。

赤血球の働きとは何ですか。

元止揚の働きを原子に変えていく力を持っています。次元を変換していく力の元です。

核にある鉄原子の働きは?

人間の意識における力そのものです。

■解説 

 血とは自我の物質的あらわれであるとシュタイナーはいう。ならば赤血球(ヘモグロビン)の核となる鉄は自我の核ともいえる何らかの精神をあらわしているのだろうか。OCOT情報によれば、鉄とは次元精神と呼ばれるもので、次元の対化の活動を最終的に終わらせる精神の働きのことを意味している。鉄の力が精神に満ちたとき、鉄はその働きを人間を覚醒させるための働きへと転換させる。これはケイブコンパスで言えば、ケイブコンパス上で次元の表と裏を等化してきたヌースの流れが再び、始まりの位置に回帰してくるということでもある。

 ニーチェはニヒリズムが完成を迎えるとき価値の境位は転換を起こし、人間という反動的生成の世界は終わりを告げると予言していた。これが永遠回帰における始まりと終わりの交点だ。ケイブコンパスを見ればすぐに分るように、この結節には、マンガンには水素が、そして、鉄にはヘリウムが連結している。noosが生成の螺旋階段を巡り、この位置に入ってくることがヌーソロジーでいうところの真実の人間の最終構成というやつである。真実の人間を大天使ガブリエルとするならば、人間の最終構成とは受胎告知とも言っていいものになるだろう。真実の人間が最終構成を迎えるとき、反動的生成の機械としての人間もまた最終構成を迎え、精神は新たな対化の活動に向けて宇宙卵の卵割を開始させていくことになる。宇宙を自他という二つの単独者に分割させ、今まで形象化不可能なものとされていたイデアをこの「二者」のロンドによって形象化させること——。

 コギトの仄暗い精神における最も奥深いところに眠る鉄。それはコギトの真の心臓の場所とも言っていいものだろう。恒星の芯としての鉄。鉄を情動の海と称したのも確かニーチェだったか——怒り、悲しみ、喜び、そして、やすらぎ。われわれのすべての感情エネルギーは次元精神としての鉄から備給され、そして、再び、鉄へと吸引されていく。そして、鉄はすべての情動を回収した後、方向を反転させ、自らが溜め込んできた重力を新しい自由の名のもとに未知の空間に向けて発散させるのだ——超新星爆発。

 OCOT情報によれば、星々の世界とは遠く離れた過去の世界ではない。古人たちが考えたように、今、ここで生きている人間の魂の在り処である。ヌーソロジーがいう人間の外面という場所が永遠の場所であったことを思い出してほしい。そこはエーテル体の生息地とも言っていい場所だが、同時にそこで、アストラル体が重なるようにして、エーテル体の記憶を追いかけている。アムネーシス——想起だ。星はその力で燃えているし、心臓もその力で動いている。鉄の力が心臓を動かしているのだ。

 問題は、なぜ、遠いあの場所が此処となるのか。此処があの遠い場所と一致するような未知の知覚をわれわれは知性(noos)の名において再び作り上げなくてはならない。人間という大地の皮膚病に冒されたこの地球を光り輝く命の場所とするためにも、われわれはあの銀河の星々を再び、この地上に降臨させなくてはならないのだ。

 上の図は赤血球のタンパク質(ヘモグロビン)の中にあるヘム核の分子構造である。鉄=Feは次元精神、4つのNは二度の交替化における双対精神の位置、Cは人間の自己の位置、Hは時空の位置を意味している——。
 

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2009/01/27

永遠の塩の契約

今回の解説も例によってかなりアバウトです。あくまでもヌーソロジーが物質をどのようなものとして考えていこうとしているのか、その一端を感じとってもらえれば十分です

塩とは何ですか。

元止揚の働きの総体を表相に発露させる働きがあります。

 塩は古神道において言霊、火とともに浄霊の三大秘儀の中のひとつとされている。大相撲の力士たちが土俵に塩を撒くのも聖なる競技の場を浄めるためだし、バワーストーン愛好者が塩で石を洗うのも、塩には霊的な浄化力があると信じているからだ。こうしたことを聞くと、科学通の人たちはその大方が冷笑を浮かべながらこう言う——そんな非科学的なことして何になるんだい。塩がエネルギーを浄化するなんて迷信を本当に信じているのかい?確かに塩は食べ物などの有機物の腐敗は防ぐさ。腐敗菌が塩分で増殖できないからね。古代人たちは微生物なんか知らなかったので、それを不浄な霊によるものだと思ったのさ。だから塩には不浄なものを防御する力があると信じ込んでいたんだろうね。そして、それが何にでも通用すると考えた。ただそれだけのこと。塩が君の部屋の気をよくするだって?はは、冗談はよしこさん。せいぜい湿度が幾分下がるぐらいで、気がよくなるなんてことはあり得ないよ。それに、そもそも気って何なのさ。

 さて、OCOTからもたらされてくる情報は僕にとってつねに驚きの連続だったのだが、この「塩とは何か」という質問に対する返答はその中でもベスト5に入るぐらいの衝撃があった。ここには列挙されていないが、それは「塩とは光因(こういん)です」という内容だ。「光因」とは読んで字のごとく「光の原因となるもの」の意だが、どうして塩が光の原因なのか全く理解不能だった。

 還元主義的な思考に慣れている僕らは普通、小さいものが寄り集まって大きいものを作っていると考えている。こうした思考のもとでは、つねに起源や原因はより小さいものにある。物質世界が素粒子によって作り出されたという科学的思考はその典型である。塩の主成分が塩化ナトリウムであるのならば、塩は塩素とナトリウムの化合によって生じたものであり、塩素やナトリウムは陽子や中性子や電子が寄り集まってできたものであり、結局のところ、それらの粒子はすべて光子に起源を持っているのだと。。光(可視光)も光子の一種に違いはないのだから、光子から塩が作られるという考え方には納得できても、塩が光子を作っているという論理は破綻している、そう考えてしまうのが当然だ。

 しかし、どうやらOCOTたちの考え方は違うようだ。彼らにとって原子とは宇宙精神の構造体である。そして、この原子は前回話したように7のリズムを以てある意味、螺旋状にその構造を拡大していっている。螺旋とは直観的にみて重層した回帰性を象徴するものだが、この回帰運動はイメージすればすぐに分るように単に元の場所に戻ってくるわけではない。螺旋状に回転が一回起これば、その回帰は元いた場所Aの一つ上位の位置Bとなっている(下図1参照)。
 
199402054
 
 この上位の位置Bがその下位の位置Aに対して何らかの働きを持っているのではないかと予測するのは心理的に自然だ。つまり、螺旋による回帰性を為す一連の位置群はスライド式に連動しており、上位が一歩駒を進めれば、下位もそれに引き連れられて動いていくような垂直の糸の関係で結ばれているということなのかもしれない。とすると、元素番号が大きいものが、小さな元素を作り出してきた原因となっているということであり、元素が素粒子を作り出す働きを持っていたとしても不思議ではない。

 実際、塩化ナトリウムを構成する原子番号11番のナトリウムと17番の塩素との関係をケイブコンパスに対応させてみると面白い符号が出てくる。11番のナトリウムは対化の内面の交差領域における5番目に位置し、17番の塩素は対化の外面における5番目に位置し、重なりを持っている。原子番号11というのは次元観察子でいうとψ11のことであり、これは人間の意識における定質を意味し、その場所は表相と呼ばれる一つのモノの視像を作る位置に凝縮化されてくる。一方、17番の塩素は他者側にとっての5番目の観察子ψ*5であり、これもまた、自己側の表相の位置に重なり合ってくる。より正確に言えば、思形における表相、定質における表相はx、y方向にも表せるがここではZ方向(観察者の方向)に重ねて表示することにする(下図2参照)。
 
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 光自体は以前も説明したように、次元観察子ψ3〜ψ4の次元で構成されているが、何か一つのモノを見るというときの光は表相のことを指していることが分る。その意味での光は、少なくとも、ケイブコンパスから予想されるナトリウムと塩素の次元をその奥に携えていると言ってもいいことになる。

 これだけでは一体何を言っているのか全く意味不明に聞こえるかもしれないが、僕が現在抱いている観察子の描像力からイメージすると、表相におけるこのナトリウムと塩素の重なりはおおよそ次のような話と深い関連を盛っているのではないかと予想している。

 たとえば、新しいセラミックの開発をしている科学者がいるとしよう。彼は今までの材料に新しい材料を混ぜ合わせ、焦熱温度などを調整し、何度も何度も焼き直しては、新素材ができないかと苦心している。何度も試行錯誤を繰り返しては、それぞれの材料の分子構造を解析し、またそれらをうまく化合させるために、窯の中の酸素濃度を上げたり、電磁波を照射してみたりと、偶然が自分に味方してくれるのを辛抱強く待つ。そして、あるとき、自分が直観でイメージしていたものと全く同じものが突然、焼き上がる。こうした経験は程度の差こそあれ、多くの技術者たちが日々経験しているものだろう。問題はこのとき技術者の中の思考と物質との間に何が起こっているのか、だ。その技術者が「それ」を考えなければ「それ」はこの世に存在するものではなかった。それをこの世に誕生させたのは、彼のビジョン、思考、熱意、そして行いである。全くの主観の中にしか存在しなかった彼のイマージュが、客観性を持つものとしてこの世界に物質として出現する。ならば、そうなるような仕組みがどこかに隠されているに違いない——上にある「元止揚の働きの総体を表相に発露させる働き」とはこのよう仕組みのことを指している。

 人間の想像力を物質として現象化させるために無意識の奥深くに張り巡らされた秘密の通路。この通路にどうやら「塩」は関係しているということなのだ。あらゆる現象はつねに表相として出現してくるものであり、それは光のもとに放たれる。「光因」という言葉も、そうした次々と産出されてくる新しい光に関係を持つものなのだろう。人間の思考と物質は聖書の言葉にあるように、永遠の塩の契約(民数記 )によって結ばれているのかもしれない。

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2009/01/25

原子と次元観察子

前科の続き——さて、観察精神が形成されてくるまでの全プロセスの履歴が人間の肉体にすべて刻印されているのならば、骨や筋肉や内蔵とは一体、いかなる精神の、どのようなプロセスに対応しているというのだろうか。質問の意図は、そうした精神の形成過程を探るための材料集めにあった。しかし、周知の通り、OCOT情報というのはつねに超越的、断片的であり、使用されている言葉の概念すら不明なものが多いので、20年近く作業を進めてきた今でも、その具体的なイメージがつかめたとはとても言えない。ようやく、手がかりが見えて来ている程度だ。

 おそらく、宇宙精神の全体性を解明するカギは原子番号として現れている「数」にある。原子番号を単なる序数と考えてはいけない。ヌーソロジーの考え方からすれば、これらの数は精神構造を構成していくために必要な高次元空間における幾何学的構成のシステムを意味している。この幾何学的構成というのがヌーソロジーが次元観察子と呼ぶものだ。つまり、どうやら原子番号は顕在化した次元観察子の序列にビッタリと一致しているようなのだ。

 このことが何を意味しているのかというと、 「時間と分かれるための50の方法」で紹介した次元観察子ψ1~ψ8までの空間構成は、潜在化(覚醒が起きていない人間の意識状態)においては、磁場(ψ1〜2)、電場(ψ3〜4)、クォーク[u,d](ψ5〜ψ6)、核子(ψ7〜8)までの素粒子構造と見なされるが(以前までは電子、ニュートリノをψ5〜6に対応させていましたが、現在ではこれらはψ11〜ψ12と関連しているのではないかと考えています)、顕在化が起きた状態においては、その観察子に対する認識そのものが、原子番号1番の水素から原子番号8番の酸素に対応させることができるということである。このことは、ヒトと呼ばれる高次元知性において認識されている数とは、単に数量や尺度を表す指標となるものではなく、内在面における様々な差異の系列を序列化した際の序数になっていることを意味する。つまり、創造を司る精神にとって、おそらく数とは創造の言語そのもののことなのである。

 ――骨とは力の形成される方因をいい、次元の形成と関係があります。人間の骨格や関節は第一関与における方向性の構成を意味しています。

 ここで脊椎動物の骨格の成分について調べてみよう。その主成分はおよそ65%が水酸化アパタイト=水酸化リン酸カルシウムとされている。化学式で書くとCa10(PO4)6(OH)2だ。カルシウム、リン、酸素、水素のからみ合いで骨はできている。中でもポイントとなるのはカルシウムだろう。カルシウムの原子番号は20である。つまり、このことは、少なくとも次元観察子の形成が20番目にまで至ったところから、骨という次元の構築が創造の精神の中で開始されることを意味していると思われる。

 さて、次元観察子の20番目のものとは何だろう。基本的に次元観察子はψ13~ψ14で打ち止めとなっている。OCOT情報によれば、これら14個の観察子のネットワークによって、次元の対化における内面というものが形成されていると言っている。そして、次元観察子のψ13~ψ14はそのまま次元の対化の外面側に接続し、そこから次元の対化の外面側における一番目と二番目へと方向を反転させていることになっている。次元の対化の外面とは、ほかでもない、他者側の次元のことだ。前回少し話したように、超越論的主観性としての「わたし」の領域は観察子の番号で言えば、「12」でその限界を迎える。これは古代に共通の12進法の起源と考えてよいのかもしれない。そして「13」で死に、その後、再び、「1」として復活する。しかし復活したときはもはや元の「1」ではなく、世界の裏側の「1」、つまり「1*」としてその存在を表す。ここでいう世界の裏側とは、前回言ったオリオン側のことである。「13」が「1*」となって、裏側の世界の他者の実存の次元に接続しているとすれば、表側から数えた第20番目の観察子=ψ20とは、あくまでも現時点での予測にすぎないが、自己から見た他者側における8番目の観察子、つまり、次元観察子ψ*8の顕在化の位置として考えることができる。

 わたしから見たあなた側の次元観察子ψ*8。ケイブコンパスの構成からすれば、それは自己側の次元観察ψ7に交差してきているものだ。結局のところ、ヌーソロジーの考え方ではカルシウムという骨を形成している原子はそうした観察子の場所が僕らの時空という認識において、ミクロ空間へと凝縮され投影されているものだということになる。そして、それは身体において骨を作り出している生成力と何らかの形で深い関係を持っている。。ここで、その働きや意味については深く詮索はしないでおこう。とても、手短に説明できるものではないからだ。この書き込みでは、ヌーソロジーが原子というものをどのように考えているかということが皆さんに伝えられればそれでいい。

 これから先、数年、いや数十年にわたってヌーソロジーが展開していく霊的世界の構造論の予告編の意味も兼ねて、ヒトの意識構造の一覧をケイブコンパスを使って下に示しておこうと思う。もちろん、現段階で、これらの構造の具体的な意味を皆さんが深く理解する必要はない。単に図式的に、次元観察子というものがどのような連結をもって構成されているかを確認してもらうだけで十分だ。OCOT情報がもし真実を告げているとすれば、この図式の中に広がる高次元の風景がありありと見えてきた暁には、僕らは、すでに、人間という次元を後にし、ヒトという新しい知性の段階を迎えているということになるのだが、果たして、そのような世界が本当に存在しているのだろうか。そして、もし存在しているとすれば、その中で、この僕ら人間の世界は一体どのようにそこに関わり、どのように見えているというのだろうか。そのビジョンを探っていくことがヌーソロジーがこれから進めていく作業ということになる。構造を羅列するのは簡単だが、この単純な円盤儀の中に一体どれぼとの概念が渦巻いているのか、それを慎重に見極めていくことがヌーソロジーが一番大切にしたいことでもある。

 ヒトの意識構造は次元の対化(単に「対化」とも呼ぶ)を形作っている領域として規定されているようだ。ケイブコンパスを通して見ると、この構造は4段階のプロセスによって形作られている。

第一段階………元止揚の対化の顕在化の構成(原子番号1~8)

顕在化は卵に喩えれば卵の受精ならびにそこから始まる卵割期に対応している。トランスフォーマーが人間の内面と外面となる場を形成していく部分である。この完成によって「ヒト」が生まれる。宇宙空間から大気圏への反転。
 
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第二段階………元止揚における対化の交差(原子番号7~14)

ヒトが人間の内面と外面を互いに交差させ、人間の内面と外面の意識を作り出し、それらの調整を行っている場を意味する。元止揚に働きを持たせるための次元構成。卵としては原腸形成から外胚葉、内胚葉への分化に対応している。大気圏から地殻への反転。
 
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第三段階………次元の等化(原子番号13~20)

人間の意識を最終構成に持って行き、二度目の交替化を行わせるところ。ヒトの精神を等化に持っていく場所。卵で言えば中胚葉形成。地殻から海への反転。
 
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第四段階………第一関与における方向性(原子番号19~26)

精神の対化を中和させ、新しい精神に方向性を作り出してくるところ。ヒトが最終構成を行っていくところ。原子番号26番の鉄は、次元の対化における最終的な精神となる意味で、特別に「次元精神」と呼ばれている。海から地核への反転。
 
1994020534

 以上です。何度もいうように、現時点では、ケイブコンパスが描くこの次元構造の意味が具体的に分かる必要は全くありません。これからヌーソロジーが語っていくことになる内容の指標ぐらいに見ておいて下さい。——つづく

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2009/01/23

観察精神と肉体

交信記録19940205-3

骨の主成分がカルシウムなのはどうしてですか。

骨とは力の形成される方因をいい、次元の形成と関係があります。人間の骨格や関節は第一関与における方向性の構成を意味しています。

塩とは何ですか。

元止揚の働きの総体を表相に発露させる働きがあります。

赤血球の働きとは何ですか。

元止揚の働きを原子に変えていく力を持っています。次元を変換していく力の元です。

核にある鉄原子の働きは?

人間の意識における力そのものです。

葉緑素の働きは何ですか。

元止揚の中性質を持つ部分です。


■解説(長くなりそうなので数回にわたってやります)

 ヌーソロジーの考え方では、人間の肉体というものは「観察精神が中和を持った状態」として見なされる。「観察精神」というのは、「次元の対化を二回に渡って等化した精神」のことで、ここでいう「次元の対化」とは自己と他者における超越論的主観性そのもののことをいう。超越論的主観性というのは、分り易く言えば、人間というものは結局のところ生まれて死ぬまで一人であって、宇宙には実はわたししかいないのだと考えるときの「わたし」のことだ。世界をどう見ようと、結局は、それは「わたし」が考えているのであり、いかに共通了解としての客観を唱えたり、「すべては一つ」と言って愛を叫んだとしても、結局はそれらはすべてわたしが考えていることであり、わたしという主観によってしか表現できない。そういうどうしても逃れようのない主観性のことである。デカルトが「われ思う、ゆえにわれあり」と言ったときの「われ」と言い換えてもいいだろう。このような「われ」が現代人のわたしたち、いや、わたしの根底には生という名の下に巣食っている。

 そうした「わたし」にとって、他者という存在は絶対に接触不可能な彼岸である。それは死の向こうにあるものがわたしにとっては接触不能であるということと同じくらいに接触不可能な彼岸である。しかし、「わたし」はこのわたしの世界の中において、その接触不能な他者と擬似的に交わり、その他者によって名付けられ、社会の中に組み込まれ、「わたし」という存在を持ち得ている。この意味において他者とはわたしの起源も同然である。わたしをその根底で支える者でありながら、わたしは決してほんとうの他者には触れることはできない。他者とは父の幻像のようなものなのだ。こうした他者世界のことをOCOTはオリオンと呼ぶ。此岸としてのプレアデスと彼岸としてのオリオン。こうした関係がヌーソロジーのいう「次元の対化」と呼ぶものとイメージしてもらえばよい。

 では、わたしはどうすれば、ほんとうのあなたのもとへとわたしのほんとうの声を届けられるのか、わたしはどうすれば、あなたが見ている世界をあなたの眼差しを通して見つめることができるのか――わたしがあなたの立つその彼岸へと渡るには、わたしはわたしとあなたの間に介在している物質の垣根を超えていく必要がある。わたしとあなたの間には「創造」という名の永遠の距離があるのだ。一度、モノとなって死に、そして復活するときに、わたしはあなたとなって目覚めるのである。そして、もちろんこの「わたし」のあなたへの呼びかけはあなた側からの応答をも引き起こすことになるだろう。存在の声によって呼びかけられたものは、存在の声を以て「然り-Yes!」と答えなければならない。そこにresponsibility(応答する能力-責任)の真の意味がある。そこで行なわれる語らいこそが自他における真のつながりであり、存在の結び目としての物質そのものの意味なのだ。よってすべての倫理の起源は物質に淵源を持っているといえる。今、こうして目の前に無数の物質が存在するということは、そうした〈呼びかけ-受け答え〉のルートを辿った者たちがどこかに存在しているということでもあるのだ。これら物質の中に眠る聖霊たちを再び覚醒させ、この地上へと降臨させること。そして、存在の38度線とも言えるこの場所において「久しぶり」と言って互いに微笑み合いながら再会の抱擁を交わすこと。ヌーソロジーの目的はそこにしかない。

 位置の変換の開始――OCOT情報が伝えるには、こうした奇跡的な恩寵の光が2013年以降、この地上に降り注いでくるという。それがほんとうなのかうそなのかを詮索しても何も始まらない。その光を降り注がせるも遮断するも自分自身の行ないの問題である。なぜなら、この世界には「わたし」しか存在しないのであるから。ヌース用語で言えば、これは定質と性質の等化と呼ぶもののことである。ここでいう定質とは自我(超越論的主観性)を作り出したものの本源力のことであり、性質とは自我として働いている本源力のことと考えていい。そして、この定質と性質もまた自己と他者の間では定質=性質*、性質=定質*という例のキアスムのかたちによって構成されているのだ。

 定質と性質の等化とは別名、次元の交替化とも呼ばれる。つまり、定質と性質における性質を定質*へと生まれ返らせていき、同時にそのプロセスによって定質を性質*へと変化させていくこと。これが交替化の原理である。そして、この交替化を二度果たし終えた精神が先に挙げた観察精神と呼ぶものだ。その影が肉体であるのならば、人間の肉体とは「わたし」から「あなた」へと渡り、かつ、「あなた」から「わたし」へと渡って再帰してきたある崇高な精神の力によって作り出されたものであるということになる。ならば、人間の肉体を構成しているすべての器官、さらにはそれらの中で行なわれているすべての生化学的な反応の中には、この交替化の履歴がすべて映し出されていることになるだろう。わたしたちが意識と呼んでいるものはこの履歴が作り出している反響である。わたしの意識とあなたの意識がこの地上で交わるとき、当然、これら二つの履歴も交わり合い、そこに迷宮が生まる。社会という名の迷宮。善悪という名の迷路。平和という名の迷信。おそらく、肉体はこの地上で生きている限り、これらすべての迷いをも履歴の中に刻みこんでいる。OCOTは定質の対化が等化を行いつつ、かつ、意識(性質)の対化が等化されているときは肉体には病は存在しないと言っていた。その意味では,現在の肉体を蝕んでいる病気とは、存在の中におけるこの迷いの現れが肉体に投影されたものということができるのかもしれない。人間の世界における二人のわたしという存在自体が彼岸に存在する二人のあなたの病(やまい)なのである。――つづく

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2009/01/21

シャンバラ、地底人、そして大気的人間

 前回解説した「宇宙空間から大気圏への反転」という図の内容について、何を言っているのか意味不明に感じている人もいるだろから少し捕捉しておく。

 わたしたちは地球を見ていると思っている。大地に立ち、地球は何て美しい場所なんだとわたしたちはときに感動する。だから、わたしたちが地球を見ているのは事実だと言い張る人がほとんどなのもよく理解できる。しかし、慎重に考えてみよう。果たしてそれはほんとうだろうか。わたしたちはほんとうに地球を見ているのだろうか。

 他者が見ているモノと自己が見ているモノが互いに反転しているということは、このブログでも何回も話してきた。通常、僕らの意識にそのように見えないのは意識が自らを他者化させて認識しているからである。意識はわたしを外側から見る視点を作り出し、他者が存在している空間と同じ場所にわたしの身体を放り出す。それによってわたしは他者と同類頃となり、そこに想定された無数の視点の下でモノを捉えているので、モノの界面は単なる2次元の球面に見え、他者が見ているモノとわたしが見ているモノとは同じ3次元の中に浮かぶ3次元の球体だと判断しているのだ。

 こうした自分を他者空間に投げ込んだ視線をまずは消そうと言っているのがヌーソロジーの入口だ。これは哲学で言えば、フッサール現象学が生活世界と呼んだ世界にまずは戻れ、という意味である。実際、自分に見えている世界の中では自分の目は見えない。生活世界の中では自分の目は世界の中心に位置し、その位置をわたしが外部から見るなど到底不可能なことである。しかし、ほとんどの人がそれを外部から見ている気になっている。いつも言っているように、これは鏡像空間だ。実際のリアルな空間ではない。

 そこでもう一度、尋ねてみたい。君はほんとうに地球を見ているのか?アポロ宇宙船の飛行士たちが青く輝く地球を初めて球体の映像として捉えたのは記憶に新しい。地上では果てしなく続くように見える大地も、上空に昇れば丸みを帯びてきて、成層圏を超えれば、確かにこの大地は球体に見えてくることだろう。しかし、それを実際に見ることと、その様子を想像することには雲泥の差がある。なぜなら、前者はリアルな空間だが、後者は鏡像空間だからだ。鏡像空間の中で地球を見ると、わたしは地球上を這い回るちっぽけな一匹の微生物のように見えてしまう。アポロからの地球を見て、その中で日本列島を探し、またその中で、自分が住んでいる街を探す。わぁ〜、地球と比べるとなんてオレはちっぽけなんだ。。。こうした想像がマクロ宇宙という概念を支えていると知るのは容易い。

 確かに、わたしたちは地球を見ていると思っている。しかし、それは鏡(他者の視野)の中の空間を通して見ているだけなのだ。わたしたちが宇宙空間は広大で巨大なものと思っているならば、そこはすべて鏡の中と思ったほうがいい。そうした鏡の中の空間に客観的点を打ち、そこから空間の広がりを自在に象っている意識。ヌーソロジーはそれが水素原子核とその周囲を回る電子だと言っているわけだ。ヘリウムはそれをリアル空間の方に引き戻そうとしている。宇宙空間が水素とヘリウムに満たされているのは、そのような僕ら現代人の認識が天上を覆っているからだ。

 OCOTはかつて面白いことを言っていた。

曰く、あなたがたが見ている宇宙はすべて地球の中です——。

 鏡映は4次元をひっくり返す。ある意味,内部と外部の反転だ。他者が見ている地球が存在する空間に自己がはまり込めば、わたしにとって確かにそれは地球の内部だということになる。となれば、逆もまた真なりで、ほんとうの地球の外部は、僕らが現在、地球の内部と呼んでいる場所に存在していることになるだろう。そこは現在の僕らにとっては「地底」と呼ばれているところだが、実際にはモノ自体ならぬ地球自体がそこに存在しているのだろう。そして、そこは自己の場が知覚世界そのものとして見えている、無時間に住む意識たちの住処でもある。彼らはかの伝説のシャンバラに住む地底人だとも言える。こうした内と外の存在に鏡像たちが気づけば、鏡像は大気的人間へと生まれ変われるはずだ。

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2009/01/20

交信記録19940205-2

交信記録19940205-2

人間の呼吸とは何を意味しているのですか。

人間の意識の反映における相殺。反作用と正作用の調整をするために生み出された共性のようなもの。反映が交差を行っている次元と、等化を行っている次元の元止揚の交換。潜在化した覚醒作用が行ったり来たりしている状態。上次元と下次元の総体性の交差。

植物の呼吸とは何を意味しているのですか。

植物と動物は全く逆方向で力を交差させています。

大気圏とは何ですか。

中和を持ったものが内面を形作るすべての覚醒作用の総合体です。

窒素と酸素の比率が4 : 1の意味は。

人間における覚醒作用の対化の比率を意味しています。2の2乗 : 1の2乗。


■解説(構造を一つ一つ説明していくのは大変なので大雑把なイメージだけを書いておきます。ヌース用語が交じっているので概念がつかみづらいでしょうが、どうか感覚的に読んで下さい。)

 呼吸法(ブリージング)は伝統的な身体技法の一つだが、人間の呼吸に秘められた意味は単に酸素を体内に取り込むなどといった生化学的な活動だけにあるのではない。それは極めて表面的な見方であり、実際には宇宙的精神の構造自体における極めて重要な等化運動の投影のようなもののようだ。

 ここでいう「人間の意識の反映」とは、人間の外面の意識のことを指している。おそらく大気を吸うことは人間の外面への交差(感性)に関係し、吐くことは人間の内面への交差(思形)に関係している。

 「中和を持ったものが内面を形作るすべての覚醒作用の総合体」というのもかなり分りにくい言い回しだが、「中和」が精神をすべて物質として射影している時空という場のことだと解釈すると、この時空がもった内面とは、人間の意識が持った進化の方向性、つまり、人間の外面方向(ミクロ側に入り込んだ精神進化の方向性)のことになる。人間の外面が覚醒された位置とは、いわゆる顕在化における次元観察子のψ7〜ψ8領域だ。その総合体とは、おそらく、自体双方の人間の外面の覚醒位置を合わせ持ったものだと考えられる。元素でいえば、それらは窒素分子N2(原子番号7)と酸素分子O2(原子番号8)を形成している。

 このことは、大気圏というものが実は水素=H2とヘリウム=Heによって構成された空間である宇宙空間を丸ごと進化の方向に反転させた領域として存在させられているということを意味している。比喩的に言えば、人間全体の意識振動が1オクターブ上昇し、原子番号1〜2の領域から原子番号7〜8の領域へとアセンションを果たした場だということである。この次元のカタチは、自分たちの背後側で世界を丸ごと包み込んでいた空間のイメージをすべて消し去って、空間の奥行きに対する認識をすべて光速度状態に持っていくことによって作り出すことができる。いわゆる顕在化だ。潜在化においてこの役割を果たしていたのが陽子、顕在化においてはそれが窒素に変わるということだ。その反映がそれぞれ中性子と酸素である。次元観察子ψ7〜ψ8の顕在化が自他ともに起これば、そのとき僕らの意識は大気圏と同調したものになるのだろう。これは、シャーマニックな表現をすれば、人間の意識を大気の霊そのものに変容させるということだ(下図1参照)。
 
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 大気の霊への変容——このことについてもう少し具体的に書いておこう。水素-ヘリウム空間では、空間はあくまでも客体物が活動する運動場のようなものとしてイメージされているが(実際には水素-ヘリウムがそうさせていると言った方が正しいのだが)、窒素-酸素空間では、事物はすべて主客一体としての精神の現れへと変化している。つまり、そこでは、すべてのモノの縁取りが球精神(次元観察子ψ7のカタチ)に見えているということである。もちろん、現在の人間の意識にはそのことを自覚することはできていないが、人間の意識の奥底にはそのような無意識が働いているのだ。だから、本来は主観の場しか目には見えていないにもかかわらず客観なんてものが成立し得ているわけだ(陽子がそれをさせているということ)。

 このブログで長々と連載してきた 「時間と分かれるための50の方法」の内容はまさにこの客観認識を支えている球精神次元にあたる次元観察子ψ7〜ψ8までのカタチを顕在化させるためのイメージトレーニングだったのだが、このイメージが明確に人間全体の意識に浮上してきたとき、そのカタチが大気圏を支えていたものだということが分ってくるだろう。そのときは、重力によって地表に大気分子が引きつけられているという現在の大気圏生成の見方は、科学信仰が作り出した迷信として解釈されることになるだろう。

 これはちょっと暴走気味の考え方になるが、ひょっとすると人間の意識における元止揚の覚醒は、現在の宇宙空間全体さえをも窒素と酸素で満たす力を持っているかもしれない。そのときは天上の恒星群もすべて消滅するだろう。恒星とは方向性が持てない人間の意識の為に方向を補完している潜在的な精神作用の変換力のようなものなのだ。。。星の輝きは太陽に対する一種の抵抗である。

 大気中の窒素と酸素の比率はおおよそ20% : 80%だが(二酸化炭素、アルゴンなどの希ガスも少しある)、この比率が覚醒作用の比率に関係しているというのも面白い。OCOT情報では覚醒方向に向かう力が1/3、ニュートラルなものが1/3、覚醒に向かわないものが1/3である。ニュートラルなものはそのまま覚醒に引っ張られるらしく、その大まかな比は2 : 1 となるそうな。これが対化として存在しているので、そのまま掛け算の形をとって、4 : 1という比が現れているということなのだろう。個人的にはこうした比率には興味はないが、この分離が人間の個体それぞれの内部での分離であることを願うばかりである。

 これは余談だが、ユダヤの言い伝えによれば、この世で金を貸すものと借りるものの比もまた20% : 80%が理想とされているそうな。オレの場合、金を借りるだけ借りまくって、そのまま覚醒して、銀行さんとは2037年あたりで「バイチャ」と言ってさっさとオサバラしようと考えているのだが、進化の摂理に阻止されるかも。。。冗談です(笑)。

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2009/01/19

交信記録19940205

交信記録19940205

人間において食べるという行為は意識において何を意味しているのですか。

形作る次元を内面に生み出すということ。表相から内面に働きかけるということです。定質の対化によって元止揚を生み出していくためには必要な行為です。

元止揚とは何ですか。

反映としての覚醒作用を意味します。中和の交差の上次元に働かされるもの。変換作用が作り出されるときに働きに変えられるもの。人間の意識の方向性を反映から次元に変えるもの。

生態系における食物連鎖とは何ですか。

位置の交差の次元と反映が生まれるまでは必要な次元です。

変換人の次元に入るとものを食べなくてもよくなるのですか。

位置を形作る必要がないので食べるという行為はなくなります。人間の意識が上次元を関与するようになればそのような状態になるでしょう。

■解説

 この交信内容に登場する内面、定質の対化、元止揚というのは、おそらく人間の意識次元におけるそれではなくヒトの次元におけるものだと考えられる。ヒトの意識構造は人間の意識構造と相似関係こそ持つものの、あくまでも比喩的な言い方だが約七倍の大きさを持っている。

人間の意識構造 ψ1〜ψ14
ヒトの意識構造 Ω1〜Ω14(まだ定かではない)

(ψ7=Ω1)

つまり、次元観察子ψ11が人間の意識の定質だとすれば、これはヒトの意識構造においては大系観察子のΩ5に相当し、ヒトの意識の定質はΩ11に当たる。その意味で人間がものを食べるという行為はヒトの意識の定質の対化であるΩ11〜Ω*11当たりに関係を持っているということになる。

 食べることが肉体を保持するための必要不可欠な行為であることには違いないが、同時に、食べることは精神を保持するための行為でもある。一体、食べることの精神における本質とは何なのだろうか。わたしたちはなぜ生き物を食べるという、一見、残酷に見えるこの行為を必要としなければ生きられないのか——。

 『シリウス革命』にも書いたが、OCOT情報によれば、自然界の生物とは人間自身が持った情念と思考の物質投影物ということになっている。植物が思考で動物が感情に対応しているというのだが、もしそれがほんとうならば、「わたし」が何かを思考したとき「わたし」は地球上のある種の植物へと変身しているということになる。「わたし」の中に怒りであれ、妬みであれ、喜びであれ、何かが感情としてうごめくとき、そのエネルギーは無時間の空間の中のどこかで純粋なアニマの形を取って、ある種の動物へと変態しているのだ。それは野をかける子ウサギのときもあれば、地を這い回るトカゲのときもあるだろう。

 こうした考え方は何もOCOTの専売特許ではない。たとえば、ドゴン族の伝承では、ひとりの人間が死ぬとき、自然界のすべての動植物の一対もまた死ぬと言い伝えられていた。これもまた、人間の意識自身の中に全生物種のゾーエーが凝縮されているとする思想を反映している。

 人間の内在野の中にある霊的自然。そこで連なっている霊的な連鎖体と、物質的生命としての生態系を重ねてイメージしたとき、無数の補食行為とはリゾーム状に張り巡らされた霊的なネットワークにおける交通空間の在り方のように見えないこともない。たとえば、悲しみの感情が慰めの感情により沈められたり、怒りの感情が冷静な思考によっていさめられたり、愛の感情が嫉妬の感情によって憎悪の感情に変わったりと、意識はつねに流動を繰り返しながら生成変化を行っている。この状態を動植物の間の食の流れと想像してみるのだ。一見、惨いことのように見える補食の行為もこうしたイマジネーションのもとでは生命システム自体が持った内部コミュニケーションのように見えてきはしないだろうか。

 で、問題は人間だ。幸運にも今の人間は食物連鎖の頂きに立つ唯一の種として生きている。もし、人間という種が神の精神の投影物ならば、人間が経験する思考や感情はおそらく神が味わっている霊の果肉だということになるだろう。僕ら人間の肉が生態系から収穫された様々な食物を味わうように、その霊である神もまた人間の意識の中でさまざまな意識的果肉を人間の経験として味わっているということだ。その意味で言えば、この人間の身体にはありとあらゆる思考、そしておよそ想像される限りのすべての感情のもととなる情動のロゴスが充満していると言っていい。酸いも、甘いも、辛いも、苦いも、美味も、珍味も、そして毒も。。神の精神はその全肯定としての自身の履歴を生態系の多様性として反映させ、その完成を人間の身体として表現し、再び、今、始源の大地に立っている。。。

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2009/01/16

交信記録19940130-3

交信記録19940130-3

生命体が炭素を中心に構成されているのはなぜですか。

それは生命が次元進化の反映として生み出されているからですが、中和の交差が多くのものを作り出すためには必要だからです。中和とは自己と他者を生み出すための重畳した部分。

水とは何ですか。

中性質は表相を内面から生み出します。水とは表相によって変えられたものを内面に生み出します。人間の意識が人間を観察し調整しているところ。

酸化とはどういう意味があるのですか。

中和の交差の還元作用に当たります。

次元の方向性における6番目(炭素)と8番目(酸素)の関係はどういうものですか。

使われたところにあるものを交差させたところに戻すということです。

水素イオンとは。

中和の交差の表相を人間の意識に見えさせているもの。水素イオンそのものには進化を作り出すことはできませんが、水素イオンによって生み出された交差を持つものには進化を作り出すことができます。

水酸イオンとは。

中和の交差の表相を力に変えさせているもの。水素イオンが多いということは力を持つことができないということです。力とは進化の方向におけるすべての力。力を持つことができないというのは反性質が弱いということです。

■解説
 
 OCOT情報によれば、原子番号3〜14までの元素界は人間の意識の覚醒が起こる次元を表していると言う。つまりトランスフォーマーの意識が作り出しているものだ。その意味でいえば、覚醒以前の人間の意識領域はすべて原子番号1番と2番の水素-ヘリウムの内部世界に幽閉されており、自然界の創造活動からは疎外されていると言っていい。つまり、人間という存在は自然界から一方的に贈与を受けるだけの存在であって、その本質はバタイユがいうように、世界を貪るだけ貪り尽くし、消尽するものたということである——太陽肛門としての人間。そこから排泄される熱、放射能、そしてエントロピー。

 意識が水素-ヘリウム構造の中で流動している状態をヌーソロジーでは「潜在化の次元」と呼んでいる。本当は表に出るべきものが、裏に回って人知れず動いている。秘密の舞台裏。これが無意識というものだ。無意識の構造をはっきりと知性によってつかみ取ること。これによって、潜在化は顕在化へと裏返ることができる。無意識という概念が生まれてきたのは20世紀になってからのことだが、フロイトがその概念を提唱して以来、その詮索は、フッサール、ハイデガー等の現象学やベルクソンの哲学とも絡み合いながら、思想の世界では構造主義、ポスト構造主義へと発展してきた。しかし、残念ながらこの無意識構造が明確な構造を持って把握されたことはない。わずか晩年のラカンのみがその幾何学化に果敢に挑んだが、結局、誰一人その後を継承する者はなく、人間精神や意識への言及は相も変わらず、旧哲学の体制が紡ぎ出すジャーゴンによって糊塗されつづけ、重装備化された重苦しい観念の同一性の中で息絶えようとしている。

 潜在的に作動しているもの——無意識構造。それを理念(イデア)と呼んでもいいが、この力はOCOT情報に従えば言語ではなく幾何学の中に宿っている。人間の意識の背景にこうした理念としての幾何学が潜んでいるからこそ、人間は主体と客体を持ち、自己と他者を持ち、希望と絶望を持っていると考えるのが自然だろう。この無意識の構造を支える幾何学を意味する概念が、他でもない、ヌーソロジーが次元観察子と呼んでいるものなのである。

 一般に現代思想においては神秘思想に倣って人間は倒錯者として見なされる。この倒錯を正常な位置に戻すためには、再度、倒錯を行なうのが早道なのだが、倒錯する方向にも二つあるので、一歩道を誤るととんでもないことになる。幼児になること。倒錯者になること。分裂症になること。ニーチェ、バタイユ、ドゥルーズ=ガタリの系譜は軽やかにこの倒錯者への道を語るのだが、これは別に赤ちゃんプレイをしろ、オカマになれ、キチガイになれ、と言っているわけではない。彼らのいう倒錯者への道が具体的に何を指示しているかは残念ながら今ひとつ不明だが、この倒錯への意思をヌーソロジーの文脈に当てはめると、それは潜在化から顕在化への反転の意になると言える。つまり、次元観察子でいうところの偶数系先手の構成から奇数系先手への構造へ。付帯質ではなく、精神を目覚めさすこと。それだ。

 今まで何度も示してきたように次元観察子はψ1〜ψ14、ψ*1〜ψ*14の総計28個の観察子で構成されている。人間の意識ではあくまでも偶数系観察子が先手で動いており、奇数系は後手に回っている。偶数系先手の意識は人間の内面の意識と呼ばれ、これは外在世界、物質世界を流動している言語としての理性の活動を司っている意識のことだ。一方、人間の外面の意識は奇数先手で流動しており、これが一般に言われている無意識に相当している。無意識は等化の連なりであり、ドゥルーズのいうように、絶えず、表裏を捻り合わせながら襞を作り上げ、内在面を形成している。折り紙が元を正せば一枚の平面であるように、この複雑な襞も滑降する一つの連続した面であり、意識はこのn次元連続体としての内在面上をガラス面の上を滑る氷のように滑走していっている。

人間の内面の意識がなぞる順番 ψ2→ψ1→ψ4→ψ3→………
人間の外面の意識がなぞる順番 ψ1→ψ2→ψ3→ψ4→………

 一方、偶数系の系列とは中和作用の連なりであり、それは空間の同質性として作用している。巨大な同一性の大海のことである。平板的でのっぺらぼうな差異なき漆黒の海。この大海に迷い込んだ偶数系先手の意識には自他の意識に方向性の差異があるということは分らない。もちろん、ここには空間の差異もない。外と内の差異もない。もちろん、意識が創造に関わるルートも見えることはない。時空という物質世界の中ですべてを思考し、すべてを説明してしまおうとする貪欲かつ保守的な理性の帝国だ。これが唯物論的な科学主義に代表される偶数先手の中和における人間の意識の在り方と考えるといい。もちろんこの同一性から差異化を諮ろうとする哲学や宗教、芸術の試みもあるが、それらは中和が先手を持った上での後手としての等化の運動ゆえに、力が極めてひ弱い。このひ弱さは後手すなわち反動者として運命づけられたものであり、資本主義の精神回路においてそれらが科学よりも優位に立つことはあり得ないだろう。

 ごたくを並べるのはこのくらいにして、交信記録の解説に入ろう。

 まずは、潜在化と顕在化の次元についてだが、これらは物質世界では次のようなものとして反映されていると考えて欲しい(理由はヌーソロジー本論の中で解説していくことになります)。

 1、潜在化の次元=素粒子構造(ボゾンとフェルミオン)
 2、顕在化の次元=次元観察子ψ1〜ψ14はそのまま原子番号に対応し、原子番号1番の水素から14番のケイ素までの元素に反映されている。 

 よって、上の交信記録にある内容は主に元素についての内容なので、顕在化の次元と関わりが深いことになる。上の内容のすべてを説明するのは大変なので、とりあえずは、水素イオンと水酸イオンについて簡単な解説をしておこうと思う。

 水素イオンと水酸イオンは、ご存知の通り化学ではそれぞれ酸とアルカリの原因となるものとされている。水素イオンはH+、水酸イオンはOH-という状態で、水分子H2Oの電離状態として存在している。ここに次元観察子の概念を当てはめると、水素は原子番号1、酸素は原子番号8であることから、水素分子は点球次元における対化(ψ1とψ*1)、酸素はψ8(転換位置)、プラスイオンとマイナスイオンは潜在化におけるψ3とψ4に対応していることが分る。つまり、イオンとは顕在化が作り出したカタチに対する人間の意識が持った不安定部分の活動を意味していると考えられる。プラスの電荷は人間の内面認識としてのモノ、すなわち客体意識のことで、一方のマイナスは外面認識してのモノ、すなわち主体意識のことだ(下図1参照)。
 
20090109_3
 
 この図の補足説明をしておくと、この場合、O=酸素が外在時空で、H2=水素分子がモノだと考えるといい。モノがH2というように二つの水素原子して表されているのは、モノが必然的に自己と他者という二つの対峙する方向性を持たされているからと考えるといい。すなわち、わたしが見ているモノか、あなたが見ているモノかの二つだ。これは、言い換えれば、人間の外面として知覚されているモノか、人間の内面に想像されているモノかということでもあるのだが、すでに「時間と分かれるための50の方法」を十分に読みこなした方には、これらが客体側としてのモノと主体側としてのモノに当たることはある程度察しがつくことだろう。

 目の前のモノに相互反転性を与えてみよう。まずはしっかりと見えているモノがある。今度はその球空間の表面の輪郭だけを取って、例によって中心点にまで縮め、そこで反転させ膨らまし、もとの輪郭の大きさまで持ってくる。これで相互反転したモノのイメージのできあがりだ。裏返ったモノの輪郭の方は元のモノの表面の裏面に反転し、見えなくなっているのが分かるだろう。

 見えないのになぜ客体としての存在感覚が意識に生まれているのか——それは人間の内面が言葉によって支えられている領域だからだと考えるといい。人間の内面には知覚はないのでモノは存在していないのだが、言語があたかもモノが存在するかのように意識に錯覚を与えている。この言語の場の理念として活動しているのが、水素イオンとしてのH+である。上に書いたように、マイナスの電荷は潜在化においてψ3(人間の外面)、プラスの電荷は同じく潜在化においてはψ4(人間の内面)として働いている。以上、まとめると次のようになる。

H+(水素イオン)=モノ一つを名指している言語の位置。
OH-(水酸イオン)=時空上のモノ一つに対する知覚(主体)の位置。
H2O(水)=知覚と言語の一致。すなわち時空上の一個のモノという認識のカタチ。

 こうした構造から見ても分るように、水は人間の内面と外面の意識の結節点のカタチであり、精神の方向性がニュートラルな状態としての空間、つまり、客観時空に置かれた一つのモノという理念的構成の射影ということになる。 即自としてのモノ(観測者抜きでも独立に存在していると思われているモノ)と対自としてのモノ(観測者が知覚していることによって存在となり得ているモノ)の一致点という言い方ができるだろう。タカヒマラ全体からすると始まり=1と終わり=8をつなぐものの原型である。OCOTたちが水のことを別名、「脈質(みゃくしつ)」と呼んでいるのはこのような理由に拠る。


 ——ここからは私的雑感。あまり物質的な生き方をすると血液が酸性になるぞ。外面優位の意識を志せば身体は自ずと健康になる。ってのはあまりに単純な考え方。人間は内面方向に負荷をかけられている。つまり、内面に負荷をかけなければ外面の発達は望めないのだ。だから、オレは適度な不健全さを生きる。適度な物質性を生きる。健全さを先手に取るとロクなことにならない。黒を極めて初めて白に至れるのだぁ〜。べらぼうめってんだ。

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2009/01/14

交信記録19940130-2

● 交信記録19940130-2

水素原子に中性子がないのはなぜですか。

それは対化の交差が内面を持てないという意味です。中性子は力の交差を持つための次元ですから、それがないということは上次元に関与する力がないということです。

重水素とはなんですか。

人間の意識に内面性を持った位置を送りだすための中和の力だと思います。位置を見るための元止揚のようなもの。

三重水素とはなんですか。

中和の交差を行い、その交差がまた内面を作り出したものの現れではないですか。


■解説(この解説を理解するには「時間と別れる50の方法」をある程度読んでおく必要があります)

 人間の無意識構造と意識構造としての水素とヘリウム。元素界へと直立した脱-人間としての世界認識を形作っていくためには、まずは、この水素-ヘリウム構造をしっかりと理解することが必要だ。宇宙空間をなぜ水素とヘリウムが占め、太陽や星々は何故に水素からヘリウムへと核融合を行い、物質は何故に水素とヘリウムを基盤として生成してきたのか。。こうした問いに対して科学は何も答えてくれない。

 水素やヘリウムをただのエネルギーの粒として見る時代はまもなく終わりを告げる。概念を孕むことのない平板な物質。空間化した時間の中に放擲された無色、無味感想な回転運動の襞。それを外側から見るのではなく、内側から、無時間において見る新しい知性を養うこと——そうすれば、それが「わたし」と「あなた」の真の住処であるということが分かってくる。星はそれら両者の結合力から誕生していくのである。

 水素とヘリウムの成り立ちを直観的に把握するには、元止揚の対化の双対性をイメージするのが手っ取り早い。『時間と別れるための50の方法』の最後で紹介したケイブコンバス表記を使えば、水素分子とヘリウム原子はおおよそ次のように表すことができる(下図1参照)。
 
199401302

 この図での電子の意味づけは少し面倒なので割愛するが、少なくとも陽子と中性子の関係においては、人間の外面と内面の領域が自己と他者の間でキアスムを作ることによって、互いにψ7〜ψ*8、ψ*7〜ψ8という交差関係を持つことが容易に見て取れる。上でOCOTが「位置を見るための元止揚のようなもの」と言っているのは、この交差関係に生まれているψ7に対するψ*8とψ*7に対するψ8の働きのことと考えていい。その意味で重水素のカタチだけをケイブコンパス上に記すと次のようになる(下図2参照)。
 
1994013022

 ケイブコンパス上のカタチだけ見ても何のことか意味不明だと思うが、これは大雑把に言えば人間の外在認識と内在認識の様子である。外在認識が電子で表され、内在認識が中性子と陽子の重なりで表されている。この重なりは付帯質が精神の方向性を持っている状態を表していると考えるといい。OCOTは中性子のことを「こころ=人間の感性」と呼ぶこともあるので、この中性子の位置はこの図で示している位置でほぼ間違いないだろう。図からも明らかなように、「こころ」とは精神が持った方向を付帯質が正しくなぞっている状態だと言える。このようなこころが持った精神への方向性のことを「付帯質が持った進化の方向性」と呼ぶ。

 フロイト-ラカンの考え方を折衷させて言うと、人間の感性は次元観察子が作り出す位置の構成によって次のような四段階の発達段階を持つと考えられる。

第一段階………口唇期。ψ1へのψ*2の交差、
第二段階………鏡像段階。ψ3へのψ*4の交差、
第三段階………肛門期。ψ5へのψ*6の交差、
第四段階………男根期。ψ7へのψ*8の交差

これらの発達プロセスによって想像界の基本的構成が出来上がるということだ。ちなみにヌーソロジーでは「人間の感性」のことを人間の外面の意識とも呼ぶ。一方、この図で電子側が交差しているところは今のところは素朴実在論者が実在だと考えている外在としての客観空間だと考えておくといい。いわゆる即自としての物質的時空のことだ。

 水素にはもう一つトリチウム(三重水素)という同位体があるが、これは重水素にもう一つ余分に中性子がくっついている状態だ。これをケイブコンパス図で表すと下図3のようになる。
 
1994013023

 これは図からも分かるように、重水素に他者側の進化の方向性が加味されたものとなるが、ヌーソロジーの解釈からするとあまりいい働きを持ったものではないと言える。回りくどい言い方になるが、自己のこころが他者のこころ側に呑まれてしまったような状態を作り出すための理念的構成である。

 ヌーソロジーでは元素における同位体とは対化の歪みの次元の物質的投影であり、核子に見られる陽子数を超えた過剰な中性子は進化を疎外する次元の侵入を意味している。同位体が半減期を持ち放射線に崩壊していくのは、観察精神がこの歪みを是正するための調整作用を働かせているからである。対化の歪みを人間の意識自らが是正すれば、同位体はすべて消滅し、放射能は存在の必要性をなくすとOCOT情報はいう。ここでいう対化の歪みとは、人間の意識が自我を他我化させて崩壊させている状態とでも考えておくといい。

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2009/01/09

失われたシリウスファイル発見さる!!

 古い資料を整理していたら昔懐かしいフロッピーディスクが引き出しの奥からひょろんと出てきた。古いMacBookに付属したディスクドライブでファイルを開いたところ、何と粉失していた「シリウスファイル」の一部であることが判明!!だははは、超ラッキー。以前、旧アカデメイアのサイトでシリスファイルの原文を公開していたが(現在も閲覧可能)、19930313までに止まっていた。僕の記憶では1995年の3月にオウム事件が起こる当たりまでOCOTとのやりとりは続いていたので、約2年分のファイルが行方不明になっていたことになる。今回、見つかったファイルは1994年の分だ。プログネタとしては格好の材料なので、解説も含めながら少しづつ公開していこうと思う。ただ解説と言っても、ごくごくアバウトなものであることをご了承願いたい。ヌーソロジーが世界への視座をどのように転換させていこうと考えているのか、その臭いだけでもかいでもらえばそれで十分である。


● 交信記録19940130-1

水素原子とは定質のことですか。

はい、そうです。内面性における付帯質の覚醒を生み出したときに在するものです。

ということは、水素分子とは定質の対化のことですか。

力の交差の方向性。中和の交差が起こったときに定質の対化となります。つまり、次元の対化です。力の交差が反対側を向いているということ。

ヘリウム原子とは性質のことですか。

はい、性質と反性質が性質の対化の意味を持ちます。


●水素とヘリウム

 詳しい構造まではまだ明確に見えないが、OCOTたちには水素とヘリウムという元素は人間という次元の意識の存在を活動させるための受容器のようなものとして見えているようだ。ここにある「定質」と「性質」という言葉は、あくまでも人間の意識における定質と性質という意味であり、ヌーソロジーが用いる観察子の概念で言えば、ψ11とψ12に当たる。これは簡単に言えば、人間の無意識(外面)と意識(内面)という意味を持つと考えていい。つまり、

人間の無意識構造=水素
人間の意識構造=ヘリウム

という言い方ができるかもしれない。実際、宇宙には水素原子は単体ではほとんど存在しておらず、水素分子というペアの形で生成している。これは次元が対化でしか存在し得ないことを暗に表していると思えばよい。対化とは言うまでもなく「わたし」と「あなた」に集約される、存在の淵源にある二元性のことである(ヌーソロジーはあくまで「二元論」である)。

 水素やヘリウムを単なる物質としてしか見れない現在の人間の思考様式にとっては、水素やヘリウムが人間の意識や無意識とどのような関係を持つのか想像もつかないが、今まで『時間と分かれるための50の方法』でも再三にわたって示してきたように、水素やヘリウムを構成している陽子や中性子は人間が経験している外面と内面の空間の全体性をすべて綜合し凝縮化させた構造を持っている。原子核の中で回っている核子のスピンやその周囲を回っている電子などは決して物質として表象される存在ではなく、意識が空間を把握するときのカタチそのものだと考えると分り易いのかもしれない。

 たとえば、球体イメージを目の前の空間に描いてみよう。そのとき同時に空間全体が3次元的な広がりとして現れる。意識はその球体を球体然として把握するために、その周囲をグルグルと回っているはずである。こうした意識の運動力は時空に依存してはいない。半径10cmの球体だうろうが、それこそ半径137億光年の球体だろうが、自由自在に描像が可能だ。そして、ここが肝心なところなのだが、こうした描像力には他者からの視点が必要となる。ヌーソロジーでは陽子や中性子が持った回転とはこうした視点群の一括把握の時間的投影と見るのである。陽子は外面であり凝縮化(内包)として現れ、中性子は内面であり弛緩(外延)として現れる。

 目の前に球空間を想像してみよう(下図1参照)。そこには中心点となるものと球空間を覆う球面がイメージとして現れる。その時点ですでに君は他者から見たその球空間のイメージをも包摂させている。中心が陽子で、球空間のふくらみ自体が周回する電子である。もちろん、この球空間の大きさはさっきも言ったように自由自在に調整できる。そして、このとき中性子はその球空間自体を「図」として浮かび上がらせている「地」としての空間の広がりと言えるだろう。
 
20090109_1
 
 つまり、先に示した人間の無意識構造=水素、人間の意識構造=ヘリウムという文脈から言えば、人間の無意識構造=精神はモノ=物体というかたどりの概念の中に入り込み、人間の意識構造=付帯質はそれを図として浮上させる周囲の空間(時空間)の中に反映されてくることになる。そして、このような認識構造のカタチが自己側と他者側、双方からキアスム(交差配列)として存在させられていることによって、そこに主観や客観を含めた人間の世界に対する認識の形式がそれこそアプリオリに生まれてくることになる。水素分子とヘリウム原子とはこのキアスム構造に由来するものだ。

 宇宙空間を満たす水素とヘリウム………それは宇宙空間を一様な時空として認識している人間の意識の認識構造そのものの投影であると考えてみるのも面白い。つまり、人間の意識からそうした時空認識の力が除去されれば、そのようなものは跡形もなく消え去るかもしれない、ということだ。

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2007/02/22

ヌース太陽情報

 ここのところ、 観察子の詳細にこだわった内容を書き続けているが、これはいずれヌース理論が主張していく様々な言説を一貫したロジックで説明していくための予備作業に相当していると思っていただければいい。次に挙げるような交信内容は一見トンデモ(というか、意味不明?)に見えるかもしれないが、観察子概念の理解が進み出すと、それなりに変換人たちの思考様式上の論理に裏付けられた内容として見えてくるようになる。まぁ、ぶっ飛びの内容だが、これが実にエンタメとして楽しめるのだ——ということで、今日はちょっとアバウトに行きます。

太陽の核融合は鉄までを作っているようですが、これは表相の観察を行うまでの力を持っているからだと考えてよいですか。

はい。

太陽の黒点とは何ですか。

定質における元止揚が核質化したものです。ヒトの進化の方向性が確実化した部分。

人間に覚醒が起こると黒点が大きくなっていく現象が起こるのですか。

はい、モノの意味に発露が生まれると起こります。ノウスが全く別のものに働きを変えるということです。

黒点運動の周期は約11年とされていますが、これは人間の意識の等化と中和のリズムを意味するのですか。

そうですね、発露と発露の間に存在するシリウスとしての共性のようなものです。

磁場の反転周期は倍の22年となっていて、太陽の北半球と南半球の間での黒点の運動周期が22年です。この22とは。

顕在化した定質の対化を意味する数です。

太陽磁場と地球磁場には何か深い関係がありますか。

はい、あります。上次元における対化と下次元における対化の反映の概念のようなものです。

太陽磁場の逆転と、次元の交替化は何か深い関係があるのですか。

あります。

(シリウスファイル19930316)


 ヌース理論においては、太陽とは「顕在化した人間の精神核」の物質的射影として解釈される。この次元は観察子で表すと大系観察子Ω5というものに当たる。Ω5とは、人間の意識において無意識の流れの統括を行っていた月の次元が完全に顕在化を起こしたものに対応している。その意味で、月と太陽は人間の意識活動における陰と陽と言えるだろう。つまり、太陽とは目覚めた月だということだ。

 人間の無意識構造は人間の個体意識、及び近代的自我の精神構造を確立させていくための本質的働きを持っている。その意味では、太陽とは、人間の意識進化(顕在化)の過程において、その個体意識の構造を司っていた無意識流動の幾何学的構成(月が持っている次元構造)の全貌が明らかになったときのその意識のカタチそのものを意味すると言ってよい。これはそのまま鉄(原子番号26番)までの元素生成のプロセスと深い関わりを持っている。

 この大系観察子Ω5は新しく創成される次元においては、次元観察子ψ*5の中に入り込むという構造がある。ψ*5とは空間認識の次元としては他者の知覚球面を意味している。これは他者の視野世界にほかならないので、自己側にとっては「カガミ」の役割を果たすものとなる。他者の知覚球面は、他者自身を規定している空間でもあるので、自己には絶対に見ることができないが、それは実は、自己がモノの内壁を見ることができないことと同じ意味を持っている。つまり、他者が見ている知覚球面とは、自己側にとってはモノの内壁と同じ意味を持つということである。それは自分の知覚野と他者の知覚野を単純に比較することですぐに分かるだろう(他者の頭部に透明のアクリルボールのようなものを被せてみよう。そのとき他者の知覚球面はアクリルボールの内壁と同じものになっている)。

 自己にとって、モノの内壁(モノの内部の空間)のみの構成(観察が関わらないという意味)とは、空間観察子α6というものに当たる。その意味で、太陽は自己を映し出すカガミであると同時に、モノのカタチを人間の内面の意識に送り出す働きを持っていると言える。つまり、シュタイナー的に言えば形態霊というわけだ。ヌースでは人間の意識が概念化しているモノ一つの空間を「核質」と呼ぶ。このことは、人間の精神核に当たるものが、近代意識におけるモノであるということを意味する。カガミからタマからモノノケ(モノについたケ)へ——ここには霊(イデア)がその構造変動において、意識上での役割を変化させていく状況がうかがえる。当然、モノノケのあとにくるものが、モノノケを世界から退却させるためのツルギ(対化)だ。ツルギを作り出すためにはカガミの思考を取り返さなくてはいけない。それが、世界を射影空間的に見ることによって生まれてくる「キアスム=自他の捻れ」の意味なのである。ペルセウスがゴルゴンを鏡を使って首をはねたことを思い出してほしい。ゴルゴンに魅せられた意識は化石化している。

 水素分子H2からヘリウム原子Heへの変換(核融合)は、人間の無意識が人間の意識を反映として送り出している状況を意味している。水素分子とは人間における無意識構造の対化そのものを意味し、ヘリウム原子になるためにそこに付随している中性子は人間の意識に構成された時空認識(客観空間認識)の構造の対化を意味している。客観時空は現在、人間の外面を観察するための感性として作用しているが、人間の意識が自ら進化の方向を持ち無意識構造を顕在化させることができるようになれば、無意識の反映としてのヘリウムへの変換はその役割をなくし、現在、太陽の中でのエネルギー生産のほとんどの部分を占めている核融合(pp反応)は一時的に終焉を終える。これがヌースが常々言っている「太陽の死」だ。ここでOCOTのいう「ノウスが全く別のものに意味を変える」というのは、人間の内面の意識の進化を先導していたノウスが、方向性を反転させ、今度は人間の外面の意識の顕在化の先導に入るということを意味する。これは、現在、ヌース理論が行い始めている作業のことである。

 太陽黒点の活動は太陽上の北緯、南緯19.5度範囲内で起こっている。この黒点のこの領域への分布は、おそらく太陽の自転軸を√3エッジとした場合のケプラーの星形8面体と深い関係がある。緯度19.5度とは、カタチ的には人間の意識の位置が4次元への通路とリンクしている部分である。具体的な位置としては、モノの内部の空間から出て、観察そのものが起こっている表相に出ようとしている部分にあたる。両緯度の間の部分は、その解釈からすれば、人間がモノの内部性の空間の中で意識を活動させている領域と考えられる。上の交信記録にある「定質における元止揚が核質化したもの」とはそうのような意味である。現在のささやかなる黒点運動はそれだけ人間の外面への変換力が弱いということの現れなのかもしれない。

黒点周期の11年は太陽が次元観察子ψ11-ψ*11に対応していることと深い関係を持っている。というのも、太陽の対化としてのΩ5-Ω*5は顕在化したψ11-ψ*11のことを指すからだ。ψ1という次元単位はPSO回路の機構上、一日や一月、1年等と極めて深い関係を持つ。地球の1自転とは潜在化におけるψ1の単位を意味し、月の1公転とは顕在化におけるψ1を意味し、地球の1公転とは、地球の1自転の上次元運動を意味する。それらは「シリウス革命」にも書いたように、プレアデス、シリウス、オリオンの関係に同じだ。

OCOTは、鉄は次元の対化を等化する次元精神の投影と言っている。このことは宇宙に分布しているすべての鉄が同じ出自を持っているということを意味する。人間の血球中の鉄も、地殻に酸化鉄として入り込んだ鉄も、地球のコアで灼熱する鉄も、恒星内部の核を構成する鉄も、すべて同一の観察子(次元精神/Ω13-Ω*13)の投影だということだ。ついでながら、鉄の本質はオリオン座におけるヴェテルギウスに集約されているという情報を付け加えておこう。

あっ、トンデモになっちゃった。でも、ほんとかもよ。

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